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世を毒する言動、空疎な報道・社説・論説等に遠慮仮借なく鉄槌を下します。


by dokkyoan

ふと思うこと

これは以前に読者からご教示頂いた話ですが、交換留学生制度に来日する中国人学生にとって、日本は謂わば「腰掛け」に過ぎず、本命はカナダだと承った記憶があります。

確かにバンクーバーの人口の過半数近くは中国人ですし、同水準の人口構成になっている都市も、カナダ国内に少なからず存在すると思われます。

同胞が多数存在するうえに簡単に国籍が取得出来て、先住者の数が少なく国土が広いカナダは、移住にはうってつけと言えます。

でもカナダで暮らすことと日本に住むことのいずれが「幸せ」なのでしょうか。

入国者に対する方針が日本とカナダでは異なりますし、カナダの裏社会で財を成した中国人にとってカナダは天国でしょう。

でもそんな「成金中国人」にとってもカナダは日本以上の天国かとは言い切れないのではないか、そんな疑問が脳裡をよぎる訳です。


話は変わりますが、南朝鮮(=韓国、自称骨がらみの保守です)に亡命した脱北者にとって、韓国の生活で何が辛いかとの問いで、「生活苦」は首位ではなく二位で、最多回答は実は「韓国同胞による差別」だそうです。

つまり韓国人と言うのは「民族統一」(ところで南北両国はいずれも単一民族国家で、しかも例外なく両国全員が朝鮮民族なんでしょうね、他民族は端折られていますから)を声高に叫びながら、現実には生活苦よりも辛い差別意識をむき出しにして同胞を苦しめる、根本的に間違っているとは思いませんか。

「ウリ・ナラ=(拙訳では)何でもかんでも韓国が一番」と言う考え方は、他国や他民族等を見下す精神を植え付け、それは信じられない無礼や愚挙を相手に仕出かす原因になります。

小誌を含めて私見によると、「反日」は「公の場で口にしても殺害、迫害、捕縛されない唯一の政治用語」ですから、中国では全然「反日ではない反日運動」が起きたりします。

本音が別の所にあるのです。

今の中国、反日を忘れる程の「反韓感情」に溢れていると仄聞します。

理由は簡単で、中国人を馬鹿にして見下すから。

北朝鮮と対峙しながら、日本と中国から嫌われて、米国との関係もしっくりしない、この「似非」中華帝国は何処に行きたいのでしょうか。


これはあくまで感触ですが、近代に至るまで朝鮮人は中国人の真似をし続けましたが、本質的な部分で大きく違うのではないか、むしろ「中華帝国学校」の劣等生たる日本の方が、言語的には朝鮮語と似ているが心情的には中国に近いのではないか、そう思える時すらあります。


朝鮮の場合は「歪んだ宗族制度」なのでしょが、まず世界史とは部族社会から始まって如何様な展開を各地の各民族が示すのか、その実験でもあります。

カダフィが捕まらないのは所属部族が絶対的忠誠を誓っているからで、カダフィ大佐の属する部族は意外と広範囲に分布し、エジプトからの助っ人はエジプト政府の官憲が出国を阻止し、チュニジアで大佐の嫁さんが殺されないのも同族に保護されているから、南部のニジェールやマリにまで広がっています。

部族社会の住人にとって国境は、己にとって不利に設定されていても、障害物競走のハードル程度にしか考えていません。

有利なら守る、それが国境で、とりあえず有利なのがシリアです。

(続く)
# by dokkyoan | 2011-10-19 11:12

リビアとシリアと中国と

リビアでは反政府勢力が勝利したものの、カダフィ側勢力を一掃するどころか、「悪の張本人」カダフィ大佐本人すら捕縛できず、シリアではアサド政権の反政府勢力弾圧の勢いは一向に衰えそうにありません。

この事実を分析するうえで留意すべき両国の共通点は、イスラム教でも過去の植民地としての歴史でもなく、ましてやその中でも最弱の部類に属する仏伊を含めた列強(今では先進国と言います)の干渉でもなく、「部族」社会です。


リビアから検証しますと、宗教的対立は顕著ではないですが部族間差別が厳しく、しかも地縁と血縁が絡みますので、仮に最高権力者から近い順に「近衛部隊」、「親衛隊」、「国軍」と名付けますと、カダフィ大佐と同部族に属し、統一地域出身で血縁関係もある者で構成されているのが「近衛部隊」、それ以外の同じ部族者の集団が「親衛隊」、それ以外の寄せ集めが「国軍」で、部隊の装備も順を追って貧相なものになります。

仏伊を中心とするNATO軍が本格介入して以降もカダフィ政権側が戦局を有利に進めていたのは、「国軍」の装備では「近衛部隊」や「親衛隊」に太刀打ち出来ないからで、最新兵器を仏伊等が反政府側に大量供給して初めて攻守が入れ替わったのですが、それが事実とすれば武器の扱いに慣れていない反政府側の戦闘の主役は、フランスが誇る外人部隊か、カダフィ側も多くを募集していた傭兵に限られます。


珍しく中国以外の国を取り上げるかと言いますと、「兵器の操作は簡単ではない」のが鉄則で、複雑かつ殺傷力の強い武器ほど、高い技術の取得とそれに要する時間が求められます。(たとえ小銃とは言え、その壁を事実上取り払ったカラニシコフAK47の評価が高いのは同然ですが、紅軍にこの当時の最新兵器が渡っているとは考えづらいです)

ですから蒋介石本人は兎も角、浙江財閥や四大家族の少なからぬ部分は米国を手本にしていますから、兵器の国産化と言ってもそれは米国製の模倣と思われます。

重慶で逼塞している段階では、途切れがちにせよビルマ・ルート(援蒋ルート)で入ってきたのは英国製と米国製(但し前者が主と思われます)でしょうが、両者は比較的互換性が高かったのではないかと推測しています。

日本敗退後は米国の余剰兵器が国民党軍に流れ込んだでしょうから、蒋介石側は数量面でも操作性の面でも兵器の欠乏に悩まされることはなかったと思われます。

対する中国共産党、スターリンが国民党政府との条約を遵守して紅軍に軍需援助をしませんでしたから、扱い慣れているソ連製は終戦時点の在庫数量の域を出ず、全然足りないですから次に性能や操作性が分っている日本製の武器を求めて、敗退する日本軍を武装解除して身包み剥がす、革命軍と言うより追い剥ぎに似たことをしています。

国民党軍が中国共産党軍よりあらゆる点で優れていたのは、西安事件までの第一次国共内戦の推移を雄弁に物語っていますし、日本軍敗退後の10ヶ月間を経て内戦を再開した時点でも優劣は歴然としていたでしょう。

以上を総合すると、

「優勢な国民党軍の後ろ盾には米ソが控え」

「劣勢な紅軍を支援し得るのは英国のみ」

しかも英国の勢力が残っている香港、上海と、中国共産党の支配地域は隔絶していますから、これはもう「闇ルート」を使うしかないのですが、英国の選択肢は共産党だけではなく、残存する中小軍閥でも構いませんし、英国の要求を相手が呑んで履行遵守しないと意味がありません。


リビアやシリアは「縦型の情報閉鎖孤立型」部族社会であるのに対し、中国の宗族制度(氏族制度)は「横型の開放型」社会制度です。

ここに「突破口」があったのではないか、その突破口を作ったのは誰なのか、鍵はここにあります。

(続く)
# by dokkyoan | 2011-10-18 00:39

日本人と蒋介石

根拠はなく、あくまで私見ですが、蒋介石の出自は余り良くないのではないか、少なくとも宗族階級ではないと思うことがあります。

蒋介石が宋美齢に求愛した際、女性の方から即座に断ったと言う俗説がありますが、少なくとも当時は中国女性に殿方の選択権はない筈で、縁談は父親が決めた筈です。

宋三姉妹の父親は浙江財閥の総帥、宋嘉樹は客家ですが出身は海南島、聖書を出版して儲けた人物らしく、息子は宋子文、この人物はハーバード大学に留学し、国民党政府では反日親米派と看做されていたらしく、不思議なことに蒋介石政権で首相格の行政部長に就任しているにもかかわらず、国民党政府の台湾「転進」の際には同行せず、香港経由で渡米しています。

生涯において台湾には短期滞在しただけで、「転進」後はひたすら米国に滞在、親米派と言うより米国べったりな人物です。

宋美齢も台湾の居心地が悪くなると渡米しましたし、所謂「四大家族」の中には、蒋家を除いて米国に骨を埋めたり、留学する人物が多く、蒋介石は日本を高く評価していた部分もあったらしいですが、当時の大英帝国からみて蒋介石の周辺には親米反英派が多数存在する、好ましくない集団としか映らなかったと思われます。

当時の国民党に限っても親米派と親日派は存在しますし、両国のいずれか或いはその双方に留学、滞在した人物も多数存在しますが、国民党内にも共産党にも地方の中小軍閥にも親英派は形成されませんでした。

第一次世界大戦以降も大英帝国が誇る「富の吸引装置」、上海と香港は健在でしたし、中国に深く食い込んでいましたから、(裏社会を中心に)親英勢力が存在した筈です。

しかし国共内戦の勝者は素寒貧の中国共産党で、その中国共産党を承認して台湾の中華民国を認めなかったのは英国で、その英国は香港を確保し、上海にもHSBCの支店(本店?)の存在が認められました。

太平洋戦争終了後から10ヶ月、国共内戦が再開した時点で国民党の勝利を疑った者は少なかったと思われます。

それが2年後には、蒋介石は敗北の可能性を悟り始めます。

この「大逆転劇」を演じた中国共産党と英国の主役を探る必要が出てきそうです。

以前にもご指摘がありましたが、英国はロスチャイルドの誰かとその周辺でしょう。

中国共産党にそれだけの切れ者が居たか、そこが問題です。

(続く)
# by dokkyoan | 2011-10-12 01:30

明治維新の特異性

再録しますが清朝(=大清)滅亡以前の中国の社会構造は次の通りでした。

皇帝(=名目上絶対権力者)

官僚(宗族階級=実質的国家主権保有集団)

胥吏 + 軍人

庶民(農民) (+ 裏社会)


これが「受け皿なき革命」こと辛亥革命によって、皇帝の部分が空席になり、しかも誰も受け皿となるだけの器量も見識も持たぬ連中しか、政治の舞台には残っていませんでした。

しかも科挙の廃止により宗族階級(士大夫層)は階級としての裏付けを失い、代わって洋務運動の残党つまり軍閥が保有する銃と、列強から借金してまで購入した兵器で武装した連中が浮上し、同時に国家としての抑えが利かなくなったことで裏階級社会にも政治への干渉の機会が与えられることになりました。


つまり横一線とは言いかねますが、宗族階級、軍閥、裏社会による「空席争奪戦」が始まったことになり、まず武力を持っている者が先行しますから、軍閥による群雄割拠=究極の無政府状態寸前から中国の「近代史」は始まります。

皮肉なことに軍を維持するには幕僚、もっと言えば官僚を必要としますが、官僚組織を形成し得るのは宗族階級ですが、形の上だけでも束ねる存在が「空席」と言う未知の境遇で打って出ることは出来ません。

それに先立つ物がありません。

当時(厳密にはもう少し遅れて)中国に出現したのが買弁資本で、中国では評判が悪いですが、資金も無ければ技術も人材もないのですから、明治維新の真似をしなければ借金しかありません。

ですが列強、殊に大英帝国が気前良く金を貸す訳がなく、手先を通じて吸い付くせる物は取り込んだでしょうから、極端に言えば中国全土の富は上海に集まることになります。

その富の集積の役目を担ったのが裏社会であり、永らく中国史から疎外され続けた客家と思われます。

(続く)
# by dokkyoan | 2011-09-30 05:20

ご維新? ご一新?

日本人もその殆どが誤解していますから、当時も含めて中国人や朝鮮人に分れと言うのが酷なのですが、明治維新と大政奉還、五箇条のご誓文、更には士族の叛乱を如何に解釈するべきか、日本史上最大の転換点にもかかわらず理解が極めて浅いと言わざるを得ません。

こんなに面白い「革命」はありません。

明治維新と言えば「薩長土肥」ですが、維新で最も「割を食った」のが他ならぬこの四藩です。

これは現在の鹿児島、山口、高知、佐賀県をみれば理解出来ますが、維新の恩恵に浴したどころか、何の特権も与えられず、その事実に逸早く感づいていたことは、佐賀の乱、萩の乱、西南戦争と明治政府に対して武力で「反革命」を企てている事実から明らかですし、残る土佐は自由民権運動と牙城となって新政府を悩ませます。

つまり「支配者層」を形成すべき集団が、「四民平等」は良しとしても何で賊軍と同じ待遇なのか、何のために父親や夫や息子や兄弟は死んだのか、当たり前ですが「勝者の報酬」を求め、その要求に応じるのが政治と言うものです、「ユークリッド世界」では。


これ程の「嘘つき革命」はありません。

尊皇攘夷を唱えながら政権を奪取するや、否、その前から開国路線に転換し、尊皇と言いながらその実体は「象徴天皇の雛形」で、明治天皇は「畏れ多き向き」であっても絶対君主では有りませんでした。

日清戦争では明治天皇が嫌だと言っているのに大本営を設置しますし、形式上は天皇親政であっても現実には「元勲主権」でした。

薩長土肥を初めとするが討幕派が一杯食わされたのは上述の通り、むしろ(福岡藩を含めて)密貿易で潤っていただけに地域経済の打撃は深刻で、維新の元勲達は密貿易の旨みを知らぬ筈がありませんから、出身藩を最初から裏切るつもりでいたことになります。

騙された側の怒りは凄まじく、戊辰戦争の戦死者が官賊合わせて八千人余りなのに対し、西南戦争の死傷者は政府軍だけで1万5,000名、兵器の進歩を考慮しても明治維新そのものが極めて「宥和的革命」であったことが理解出来ます。


明治維新は「八百長」ではなかったのか、少なくとも「合議の上での革命」ではなかったのか、その背後にあるのは「逆算」つまり「近代化への残された時間」だったのではないか、この点で明治維新は出色ではないか、そう考えるに至りつつあります。

討幕派が佐幕派を虐殺し乱暴し奴隷身分に落とす、やれば出来たでしょうが新政府側は他の政変や革命とは異なり、皆無と言って良い程にしませんでした。(それでも会津の長州に対する「遺恨」は残りました)

官軍の連中全てが「新思想」の洗礼を受けていた筈もありませんから、そうなってもおかしくは無い、むしろそうならないとおかしいのですが、現実は全く逆でした。

政府軍の「平等ぶり」は徹底していて、故郷常陸の国に還りたいと言う秋田藩の願いを一蹴、当時の「お家」の概念の根強さと、「お家」を蹴飛ばす維新思想の先鋭な対立が見て取れます。

それにしても、どう説明すればよいのでしょうか、外国人に対して明治維新を。

(続く)
# by dokkyoan | 2011-09-27 03:54