存在意義なき産経新聞

大は国家から小は家庭に至るまで、存在理由が失せた人間集団、組織は崩壊します。

新聞をはじめとする報道機関も然り、タブーを避けながら「真実」を報道することなぞ、最早その時点から「事実」ではありません。

殊に、後に成立したタブーが、その報道媒体の本来の設立主旨と矛盾する場合、その姿は醜悪以外の何物でもなくなります。


周知の通り、産経新聞は保守系言論媒体です。

「保守」は様々が角度から定義できますし、それらの諸定義を満たしてこそ「真の保守」に値しますが、今回は宗教に対する立場から考察してみます。


各宗教に対して保守は、本来ならば1つの例外を除き、等しく一定の距離を置くことになります。(勿論、サリンを撒く集団は宗教団体を自称しようが、それ以前に殺人集団、テロ集団なので容赦なく断罪すべきです)

1つの例外とは、天皇制堅持を謳う立場から言えば、当然神道を指すことになりますが、「国家神道」に対するアレルギーが、国民の保守層にすら残存する現状では、神道を他と区別して最優先することは出来ません。(と言っても、本当の保守ならば、世論に掉さそうが、己の主義主張の論陣を張るのが、報道陣の矜持だと思います)

ですから、神道を含めて等距離の姿勢をとるのが、宗教に関する保守のあるべき姿勢です。


今、産経新聞は、連立与党と極めて密接な宗教団体系出版社(一般人にはそれとは理解できないものも含めて)から、膨大な広告、換言すれば巨額の広告掲載料を頂戴しています。

つまり、その宗教団体の「広告塔」になっているのですが、そうすると他の宗教団体は、それが保守的な集団であっても、産経新聞を敬遠することになります。


とすると、産経を読むのはその宗教団体に近い人々か、事情をよく知らない保守系読者と言うことになり、結果的に保守系読者にその宗教を勧めていることになります。

これほど醜悪な「保守」はないです。


ですから、産経グループを足場に活躍する「保守系文化人、評論家」は、一切信用できません。

特定の宗教に対する束縛を受けながら、保守的立場であることは、まさに自家撞着以外の何物でもないです。

そういう保守系論客を、(以前は「馬鹿保守」と評して良識ある読者の顰蹙を買ったので)「職業保守」と表現することにしました。

保守は禄を食むための手段なのですから、これ以上現実に即した名称はないと思いますが、如何ですか、国家基本問題研究所の櫻井よしこ女史。

(了)
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by dokkyoan | 2008-06-06 21:33