米国外交は馬鹿正直

ランボーにしても、ナルニア物語にしても、或いは300人のスパルタ人が数万のペルシャ軍を相手に激闘を繰り広げた、テレモピレーの戦いを描いた映画にせよ、プロパガンダと言うか、洗脳の意味合いがあることも否定できません。

ですが、見方を代えれば、「ビルマの軍事独裁政権は倒すぞ」、「アルメニアは助けるぞ」、「ペルシャ(=イラン)は叩きのめすぞ」と宣言しているに等しいです。

そして米国は、この種の手の内を明かす手法を好みます。


ソ連健在なりし頃、SALT(戦略兵器制限交渉)の冒頭、米国代表団は相手国(つまりソ連)の戦略兵器の詳細を全て開陳しました。

事前に調べ上げていたのです。

聞かされる側のソ連代表団は、勝手に軍事力を推測するなと怒ったのですが、退席後に照合すると、数字は全部あっていました(現場が偽っていたため、ソ連上層部が間違った数字を把握していた例もあったらしいです)。

要は、情報を共有した方が話は早いと言う、それまでには無かった斬新な考え方を、米国は好んで採用しているのです。


日米に限った場合、残念ながら外交に関して米国に軍配を上げねばならないのは、この点にあります。

手の内を晒すと言うことは、不都合な事例も開陳することになります。

米国は必要とあらば、それをします。


日本の外交官は違います。

今まで本誌で、岡崎久彦氏や杉本信行氏を散々にこき下ろしてきたのは、一見正論でありながら、綺麗事に終始しているからです。(但し、繰り返しになりますが、岡崎氏の「戦略的思考とは何か」は、その点を割り引いても名著です)。


岡崎氏は著書の中で、日清及び日露戦争について詳述されている。

当たり前でしょう。陸奥宗光と小村寿太郎と言う、稀にみる逸材を2人も輩出した時代ですから。

ところが、凄まじい辛苦にも耐え、如何なる犠牲を厭わなかった国民の怒りが、日比谷焼き討ち事件と言う形で爆発した時、誰一人責任を取らず、その後の国民の絶望と苦悩と貧苦には、知らぬ半兵衛を決め込んでいるのです。

そして、太平洋戦争に至るまで、何一つ受動的に動いたかの印象を読者に与え、松岡洋介は例外の如く記述しています。

ようは、日露戦争の勝利以降、功は我に有りと驕り、国民に対し期待に添えなかった責任を誰一人として取りませんでした。(役人の道徳親の欠如は、この瞬間から始まったと言えます。倫理については、岡崎氏にだけはご教授を辞退したい)


杉本氏も然り。「草の根ODA」を提唱して、あらゆる善意を持って、日中両国の橋渡しを演じるかのような素振りをされていますが、少しでも「草の根ODA」の実態を知るならば、その提唱者は物欲の権化以外の何物でもありません。


外務省のお尋ねしたい。

個々の職員(特にキャリア)の才能の低さが、国益を損ねていると考えたことはございませんか。

(了)
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by dokkyoan | 2008-05-23 13:56