再開します

と言っても僚誌「中国共産党に関する考察」に比べると頻度は少なくなりますが、あらためて可愛がって頂ければ光栄です。


宮崎市定京都大学名誉教授(故人)はその著書(アジア史論)の中で、地理上の分類としてのシリアの史的重要性を指摘しておられますが、現在の国家としてのシリア内戦をみる限り、その凄惨さが大方の耳目を引くことはあっても、その地理的(或いは地政学的)重要性を痛感させるだけの影響力は感じられません。(此処では国家としのシリアと地理的区分としてのシリアはほぼ重なり合うと看做します)

内戦、小競り合い、紛争等を含めた戦争は絶えた例がないですが、それに対する認識は時代により場所により参加国家によって大いに異なります。

日本では第四次、世界史的には第五次まで数えられる中東戦争(日本の第三次と第四次の間に「継続戦争」と言うのがある)の場合、戦いの帰趨を世界は固唾を呑んで見守りましたし、打倒シオニスト、イスラエル滅亡に関してはエジプトとシリアが同調し、結果としてイスラエルは二正面作戦を強いられていました。

そして反イスラエル両国の背後には、常に膨大な量の武器を供給する旧ソ連の存在がありました。


時代は変わり、エジプトが和解して以降のイスラエルは二正面作戦の悪夢から解放される一方、イラクやエジプト、それにリビアは「民主化」の洗礼を受け、その「民主化」の波はシリアと言う堤防に襲い掛かりつつあります。

この「民主化」そのものが眉唾物で、一連の政変劇はフェイスブック上場のためと小誌は信じて疑いませんが、それらの政変や内戦の仮定で浮かび上がってきたものは何かと言えば、それは「部族社会」でした。


これも宮崎史観を引用しますが、教授はイスラム教の成立(ヘジラ)を以って、西アジアは世界に先駆けて中世に到達したとしていますが、人類の歴史の多くの場面で西アジアが先駆者であったことは認めるものの、シリア内戦で白日の下に晒されたのは、宗派間(イスラム教スンニ派対アラウィ派)や部族間(アラウィ派は4部族からなる)の論理が優先する社会の現実で、国家と言う暴力装置を以ってしても如何ともし難いものがあると言う現実です。

そもそも部族や民族、宗教や国家とは何か、此処から問わねば歴史観は打ち立てられないのではないかと思われますが、小誌のそれに対する回答は「保険」です。

それから巨視的な観点から言えば、「新世界発見以前」と「新世界発見以降」、更には「米国側から太平洋横断以前」と「横断以降」で歴史は区分すべきではないか、有体に言えば太平洋航路が表街道ならばシルクロードは裏道、つまりシリアの重要性低下は米国と言う超大国の成立を踏まえなければ読めてこないのではないかと言うの愚見です。

(続く)
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by dokkyoan | 2013-01-11 23:54