米英暗闘

中朝関係は「血とべトンで固めた友誼」と形容されることが多いですが、今となってはそれも有名無実化し、それでも表向きはあくまで(軍事)同盟関係にあります。

ですから内実はいがみ合っていても、外圧が加われば「一致団結」するのが建前で、関係に綻びが生じていることを決して表面化させてはいけない義務が、特に宗主国の立場にある中国側に生じるのは已むを得ません。


米国と英国が特別に親密な関係にあると言う通説についても、仮に兄弟だとすればこれ程までに仲の悪い兄弟も無く、表面上は「特別な同盟関係」、でも机の下では足の蹴り合いです。

中国共産党政治局員だった薄煕来氏の夫人の裁判が幕を閉じましたが、英国人実業家殺害容疑と言いますから、英国の影響力は太子党の少なからぬ部分に浸透していたことになります。


欧州人と言うのは面白い発想をするもので、PLO(パレスチナ解放戦線)を長年率いてきたアラファト議長(故人)の奥さんはフランス人、その結婚が「純粋な恋愛」に基づくと仮定しても、フランス側が放っておく訳がなく、PLOは議長の死まで一種の「フランス利権」であった可能性があります。

因みにミャンマーのジャンヌ・ダルク、スー・チー女史の旦那さんは英国人、女史が長年に亘って地名を含む固有名詞を英語読み(ミャンマーでなくビルマ、ヤンゴンでなくラングーン)していたことと偶然ではありますまい。


ミャンマーは米英中角逐の舞台で、太平洋戦争では割って入った日本軍を巡って、米軍将校の指導を受け指揮下にあった国民党系「新軍」に日本軍が苦しめらる一方、当時のビルマから叩き出された大英帝国も、本国人だけで構成される「英国軍」と、指揮官と将校は英国人、兵隊はインド人と言う「英印軍」でビルマ奪回を企てますが、米英間に緊密な連携が存在した形跡は、戦史を読む限り感じることが出来ません。

そして先日まで、ミャンマーは軍部独裁政権、在野の代表格が上述の英国人を夫に持つスー・チー夫人(国籍はどうなるのでしょうか)、その軍部独裁政権の後ろ盾で「表向きの」宗主的存在が中国、但しその窓口が重慶や雲南省辺りだとすれば、その周辺の軍団(軍閥)に英国が食い込んでいたとすれば、これはもうミャンマー情勢そのものが出来レースと言うか一種の八百長、「隠れ大英帝国(英連邦)」と言うべき存在です。

従ってミャンマー側が雲南(或いは重慶)を袖にして北京(党中央)に近づき、同時に民主化に理解をあるところを見せ始めるや、米国がその姿勢を賞賛して国務長官を送り込んだ一連の出来事は、それまでの「ロンドン・ラングーン・雲南(薄煕来前政治局員から習近平国家副主席に繋がる)」枢軸を、「ワシントン(の反英勢力)・北京(胡錦濤政権)」連合が覆したのではないか、そう思われる節があります。


東アジアにおける「近代」とは、最終的に英米角逐の形成に至るまでに、如何にして「近世」すなわち「食われる側」から列強(=食う側)へと変貌を遂げるか、或いはそれを拒否するか、変貌するならそのための必要条件は何かを模索し続けた時代ではないかと思われ、その問いに唯一、及第点の回答を提出したのが日本です。

幾ら真似をしても、つまり「近代化」に邁進しても「己の近代」を見出さない限り「近代国家」にはなり得ず、ましてや「現代」更には今後待ち構えるであろう「超現代」に至ることは夢のまた夢で、韓国が間もなく没落し、中国も近い将来において苦境に至るとすれば、それは両国が「近代」に至っていないからで、皮肉にも無い無い尽くしの北朝鮮の方が「近代の扉を叩く」可能性があります。

そして現在、欧州危機が叫ばれていますが、欧州大陸部すなわちリスボンからモスクワまでの「広義の欧州」は国家経済が軒並み破綻して「焼け野原」になりますが、米国経済の中枢を担う勢力にとっての「終着点」はロンドンではないか、大英帝国及び英連邦解体がその「最終目的」ではないか、昨今の英国系金融機関で相次ぐ不祥事も、オッペンハイマー財閥がデ・ビアス株全て(全体の40%)をアングロ・アメリカンに売却した事実(85%の株主に、残り15%はナミビア政府所有、誰かの傀儡でしょうが)も、最終局面に近づきつつある米英角逐を踏まえるべきではないか、そう思料する次第です。

(続く)
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by dokkyoan | 2012-08-22 00:28