足掛かりを得た大英帝国

沖縄戦当時、大英帝国の手中には、シンガポールも香港も上海も存在せず、空母4隻を主力とする計15隻からなる虎の子の機動部隊も、豪州に置かれた司令部から指揮を受けていました。

つまり豪州の然るべき港で補給を受けたかも知れませんが、英国太平洋艦隊は母港コロンボを発し、寄港することも殆どなく沖縄海域に至った訳で、長距離の無寄港航行は危険であり、船員に多大な負担を課すことになります。

そこまでしてチャーチルが沖縄戦に参戦したかった(米国側とすれば迷惑千万です)理由は、シンガポール、香港、上海に象徴される東アジアから東南アジアに至る大英帝国の権益を死守することですが、そのためには橋頭堡が必要で、それが他ならぬ日本だったのです。


Wiki等によれば太平洋戦争終結後、中国と四国が英連邦軍の占領下に入りました。

主力は豪州軍だったそうですが、大事なのは指揮権の所在、大英帝国軍の実質的指揮下に連邦加盟国は従っていたと思われます。

見逃せないのは呉港に本部を置いたことで、絶好の中継点を得たことになり、おそらく英国太平洋艦隊主力は、此処に停泊したと思われます。


コロンボは無傷としても、日本軍が武装解除した後も今のマレーシア(英領インドネシア)、シンガポールの疲弊と港湾機能の低下は著しく、香港は蒋介石に睨みを利かせながら漸く確保、ですが此処でも植民地としての機能は一時的に麻痺していたと考えられます。

英国のことですから、おそらくオランダと手打ちして蘭印(オランダ領インドネシア)海域での英国船籍の自由航行を認めさせ、「コロンボ→(豪州一時寄港)→呉」と言う経路で部隊の増強や軍需物資の集積に勤しんでいたのではないか、そしてその目的地は上海ではなく山東省(更には山西省)、つまりは中国共産党(系現地軍閥)が受取人です。


歴史的事実だけを並べます。

1945年(昭和20年)8月:太平洋戦争(=日中戦争)終結

1946年6月:国共合作完全破綻、再び国共内戦へ

1946年10月:上党戦役(山西省、鄧小平が一躍名を馳せる)

1947年3月:国民党軍、延安制圧


48年秋:蒋介石、故宮博物院から所蔵品を精選(2,972箱)、台湾に移送

(以下は三大戦役)
遼瀋戦役(1948年9-11月、遼寧省の「遼」と瀋陽の「瀋」と思われる。旧満州地区を中国共産党が掌握)

淮海戦役(1948年11月ー1949年1月、主戦場の一つが徐州、徐州は江蘇省に属するが山東省のすぐ側。長江以北を紅軍が支配下に)

平津戦役(その名の通り、当時の北平=北京と天津攻防戦)

(続く)
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by dokkyoan | 2012-07-19 16:45