近代(英国)と現代(米国)の軋轢

大日本帝国を屠って「傀儡」蒋介石と共に、中国も丸ごと頂戴しようと言う米国の思惑は、最初から蹉跌をきたします。

無条件降伏した筈の大日本帝国臣民が、老若男女を問わず「天皇助命」を求めて無数の書状をGHQとマッカーサー元帥宛に送付、おそらく暗殺されれば良いと思って始めたのでしょうが、天皇陛下の「地方巡幸」は、君臣一体となった時の日本の強さを米英占領軍に植えつける結果となりました。

占領軍は最大で43万人に達したそうで、急増の一因は朝鮮戦争にあると思われますが、それ以前からも相当数の米軍は占領軍として日本に駐留していた筈で、場合によっては占領軍が旧大日本帝国臣民が逆包囲される事態も起きかねませんでした。

天皇が東京裁判で裁かれるとわかった瞬間に、占領軍は数千万人単位と言っても過言ではない歴戦の勇士に取り囲まれ(兵士は武装解除するだけでは駄目、会田雄治氏もアーロン収容所で監視下に置かれました)対峙することになりますし、地方巡幸で天皇陛下に万が一のことがあれば、その日本国民の怒りはマッカーサーに向けられます。

一方で本国からは兵士帰還の矢の様な催促が着ますし、これでは朝鮮半島南部経由で先発隊を派遣することも不可能になりました。


この千載一遇の好機を最大限に生かしたのが英国で、沖縄戦役に英国が虎の子の艦隊を派遣したのは、表向きは「連合国としての義務」でしょうが、本音は「中国における既得権益死守」だと思われます。

米軍が日本と言う泥沼に足を取られている間、英国は何をしていたか、ひたすら兵器を運んでいたと思われます。

それも中央突破で、ビルマ経由は小誌の誤りです、英軍は東シナ海を通って紅軍に軍事補給していた筈です。

(続く)
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by dokkyoan | 2012-06-19 16:59