毛沢東と蒋介石は「近代人」か

孫文も含めて絶対的に「否」です。

1840年以降の中国史は「近代に触れた時期」に過ぎず、それ以前の乾隆帝末期から腐敗は極致に達し、歴史そのものは「退化(或いは「退歩」)」過程に突入します。

その間に中国は多種多様な「近代」と遭遇しましたが、いまだに「近代」とは何かを消化し切れないまま、今に至っています。


少なくとも1931年の満州事変勃発以来2013年に至るまで、中国はその領土の主役ではありませんでした。

それまでに北伐を終えて国土の中枢部を押さえた蒋介石が、従前の弱腰を捨てて奉天軍閥の継承者張学良を焚き付けて現地日本軍を追い出そうとしたのは、決して荒唐無稽ではありませんでしたし、義和団以降は列強各国が北京や天津に駐屯軍を派遣していましたので、国土中枢部の完全掌握のためにはその最大の後ろ盾的存在「関東軍」を追い出すことが先決でした。

張学良軍の装備は関東軍に左程見劣りしませんでしたが、「近代」軍事思想は装備の優劣や兵力の多寡を超越しているところにその特徴があります。

当時の大日本帝国の軍事思想が如何に最先端を行っていたかを示すのが、1937年の日華事変(日支事変、日中戦争とも)で、翌年10月には武漢三鎮を占領、重慶に退いた蒋介石には「前近代的軍隊を雲霞の如く参集させても、近代軍の前では無駄である」ことが理解出来なかったと思われます。

但しこれに激怒したのが太平洋の反対側の「超大国の卵」米国で、蒋介石を使って中国に利権を打ち立てようとした矢先に全てを日本に持っていかれたのですから無理はなく、悪い様にはしないから早く話をもってこいと日本に(心の中で)言い続けたのが、初期型列強「海の王者」すなわち当時の大英帝国です。

ここで「第二次日英同盟」が成立していたら世界史は確実に変わったでしょうが、「食えないから大陸に活路を見出すしかない」と強く信じていた大日本帝国(特に臣民)に対し、それは馬の耳に念仏ですし、日英同盟を破棄した大英帝国を恨んでいるのは当然で、しかも大英帝国には日本を黙らせるだけの「手土産」がありませんでした。

それ以降は太平洋戦争終結時まで中国中枢部は日本が掌握し、蒋介石は重慶に逼塞、延安の毛沢東はその他の弱小財閥並みに論外、そして日本支配地域が平和と言う状況が続きました。

そして昭和20年(1945年)8月15日時点、戦いに敗れた日本は中国争奪戦から脱落、朝鮮半島北半分(38度線以北)を確保したスターリンのソ連も、蒋介石率いる国民政府と事実上の不可侵条約を結んで欧州での勢力伸長に専念します。

残るは、国内においては蒋介石の国民党軍と、毛沢東の紅軍も含めた無数の弱小軍閥、国外の強国は蒋介石を後援する米国と、中国の利権確保に躍起の英国です。


英国外軍は沖縄戦に参加しています。

担当海域が宮古島、八重山付近ですので直接には参戦していないと言えますが、まだ欧州戦線が集結していない昭和20年4月1日時点で、空母4、戦艦2、巡洋艦5、駆逐艦15から成る「虎の子」とも言える機動部隊を派遣しているのは、日本が憎いからではなく「香港、上海確保」が目的と思われます。

米国はその後、橋頭堡として朝鮮半島南部を確保し、天津から北京の制海権を事実上把握します。

ソ連も退いたことだし、蒋介石軍が全て片付けるまで北京を実質的に抑えて、その後衛に徹していれば中国は己に手に転がり落ちる、これが米国の考えではなかったかと考えられますが、ここで「神風」が吹きます、米国にとってとんでもない逆風の、英国にとっては千載一遇の神風が。

(続く)
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by dokkyoan | 2012-06-15 13:51