「超大国」を凌駕すると言うこと

僚誌を含め小誌では、近代に誕生した列強を、海上(航路網)を重視する大英英国型を「海の覇者」、鉄道と言う「大量陸上輸送機関」を何よりの切り札とした、帝政ドイツに象徴される列強に「陸の王者」の枕詞を添えてきたのはご存知の通りと思料致します。


最初に出現したのが「海の王者」で、大英帝国の先輩格はオランダと言えるでしょうか、海上支配(航路網確保及び拡張)によって支配領域(植民地)を拡大すると言うのがその特徴です。

遡るとスペインやポルトガルと言った「日没することなき国」の原型が存在しますが、これらは「近代に至る前の海の王者」で、外見は似ていますが、スペインの本質は陸軍国家(陸上国家)、地中海貿易が峠を越えると共に、外洋進出に活路を見出す腕利きの船乗りに「ヒト、モノ、カネ」を支援したに過ぎず、ポルトガルも陸では食えないから「出稼ぎ」に向かったのが実情でしょう。

ですからスペインとポルトガルが獲得したのは自分より遅れた段階の地域ばかりで、スペインで言えば今のブラジルを除く中南米とフィリピン、ポルトガルはブラジルの他にアフリカ大陸南部の一部の沿岸地帯でした。

そもそも当時は史上屈指の「近世大国」オスマン・トルコの攻勢の前に、欧州全体が為す術がない状態で、ハプスブルグ系国家のオーストリア(墺)は陸上で、同じくスペイン(西)は地中海で、その侵略を食い止めるのが精一杯でした。(少なくとも1492年時点のスペインが血統的及び家柄的に、ハプスブルグ系と呼んで差し支えないか忘れましたので、このまま暴走します)

しかもブルボン王朝(仏)がトルコと同盟、理由は「ハプスブルグ系国家の繁栄が憎いから」、そんなこと言っている場合ではないのに。


北アフリカがイスラム勢力下にあると言うことは、ジブラルタル海峡の向こうはスペイン、つまり最前線に位置していた訳で、何かの拍子にジブラルタルへ強行上陸する術をイスラム側が持てば、スペイン(そしてポルトガル)は即死、オーストリアは退却の連続なのにブルボンが後ろから「闇討ち」してくる、これを世間では「切羽詰った状況」と言います。

ですから結果的に「大航海時代」を歴史用語として使うのは間違いなく誤用で、正確には「大夜逃げ時代」です。


両ハプスブルグとブルボン、それにオスマン・トルコが近世の段階に達したとして、個々の能力に大差なければ後は「量」の勝負、そして「両ハプスブルグ+ブルボン < オスマン・トルコ」ですから勝敗の帰趨は明らかです。

同時に英国の危機感も深刻だったと思われ、相手との距離も重要ですが、相手が神経質なほど危険な仮想敵国です。

夜逃げするにしても「故郷恋しや」は万国共通、「失地回復」にはなるべく近い方が良いですし、島国だと「専守防衛」に徹して他日を待つのに好適です。

つまり仮想敵国首位は臨戦態勢の西ハプスブルグ、最短距離だが少し呑気なブルボンは第二位、立地的には無理にみえるがバルト海に血路を求めれば理屈のうえで「ノルマン・コンクェスト」ならぬ「ハプスブルグ・コンクレスト」を敢行する可能性は否定出来ず、これが第三位です。

要は近世の「海の覇者」なんて多寡が知れたもので、その証拠に日本(江戸幕府)から突然「もう来るな」と言われて引き下がらずを得ず、「現地高官のお目こぼし」と言う形でポルトガルはマカオを「租借」し、後世の「レニングラード(スターリングラードだったかも知れない)死守戦」のお手本となった戦いを披露し続けたオスマン・トルコには軍事思想で遅れを取っていますから、近世と言ってもオスマン朝の方が遥かに先駆しています。


これが近代「列強」になると状況は一変し、オランダは蘭印(≒インドネシア)を植民地として領有しながら新大陸北米では英蘭仏の巴戦型獲得戦争に持てる力を注ぎ、大英帝国は言わずもがな、中世型大国全て(トルコ、インド、中国)全てを叩きのめしました。

余談ながら小誌見解では、フランスは「劣った近代列強」です。

昭和20年には仏印(≒ベトナム)で、その10倍に達する兵力を保有しながら、現地大日本帝国陸軍の吶喊攻撃に腰を抜かしてそれこそ無条件降伏、武装解除を余儀なくされました。

圧巻は勿論ディエンビエンフー、白人宗主国正規軍が有色人種民兵に全面降伏、相手に強力な後ろ盾が居たとか、補給面でその後ろ盾圧倒されたとか、そんな言い訳が通用しますか、「列強」の世界で。

(続く)
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by dokkyoan | 2012-05-23 01:49