時代認識

ご指摘有難うございます、それにしてもお恥ずかしい。


「海の覇者」大英帝国と言う近代=列強と遭遇した時の中国は、まさに「異民族王朝であること除けば、(表面上は)完璧な理想的国家」でした。

その「理想国家」の実態を見極める前に日本の「鎖国」に少し触れたいのですが、江戸幕府は「自発的」に鎖国を実施しましたが、「強制的に」開国を迫られました。

自発的鎖国が可能だった理由は、その時点で日本に攻め込む海外勢力が見当たらなかったから、意図せざる開国を余儀なくされたのは、国防に自信がなかったらで、要は鎖国の間に日本よりも欧州を中心とする他地域の軍事力向上に格差が生じたことが根本的原因で、ここから読み取るべき教訓は「ブロック経済」に対する「自由主義経済」の勝利です。

しかもその事実を、幕閣は早くから知っていた筈です。

数少ない交易国オランダからは毎年、世界情勢に関する報告書を提出させていましたし、開国するかなり以前の段階から、英仏露伊西更にはポルトガルと言った西欧諸国は開国を幕府に打診しています。

ですから1804年のフェートン号事件を待つまでもなく、「海の覇者」大英帝国の海軍力は分かっていた筈で、そもそも何で鎖国に踏み切ったかと言えば、徳川家康がもたらした中世的「天下統一」と「平和(特に内戦の厳禁)」を祖法として維持するためには、諸侯(=外様を含む諸大名)と対外勢力との結託を予防する必要があったからで、「江戸幕府>反徳川勢力+対外勢力」である限りにおいて、鎖国は可能だったのです。

つまり当時の幕閣の脳裡には常に「開国」に対する意識があり、その時期と相手を計っていたと言えます。

換言すれば幕府も含め統治階級の特に上層部には、近代=列強とは何かを模索する認識があり、その集大成が五箇条のご誓文であり、明治維新だった訳です。


中国(当時の清朝)も交易地を広州に限定すると言う、鎖国と言っても良い政策を導入しましたが、皇帝を初め清朝の要人に「自国より優れた国家が存在するやも知れない」と言う認識を有していた人物がどれだけ居て、どれだけの勢力を宮廷内で持っていたかと言えば、それは皆無でしょう。

後の歴史は乾隆帝の時代を最盛期と看做しますが、これはつまり目の前にお手本があり、しかもそれが「理想形」であったとしても「近世型理想国家」で、近代への扉ではありませんでした。

近代すなわち列強の一因に加わることは、優勝劣敗の世界に身を投じることで、それは「比較」の世界であって「絶対」君主制ではありません。

ましてや小誌が申すところの絶対君主制型「宗族階級主権国家」において、真の主権者たるべき宗族階級=士大夫層=地主階層は何をやっていたか、その絶頂期にあって皇帝が率先するから阿片の吸引に興じていました。

おそらく今でも中国人の理想はこの「夢幻の世界」でしょう。

(続く)
[PR]
by dokkyoan | 2012-04-27 00:17