公候伯子男

欧州は何故、中世以降に「近世的統一」を為しえなかったのか、小室直樹氏を初め一部の知識人は中世の時点で「宗教的統一」が成立したことに答を求めていますが、それは如何かと思われます。

確かにカトリックは排他性の強い宗派であることは事実ですが、それでもカタリ派やワルド派を初めとする異端が続出した事実屋、特に北欧での布教に時間を要したこと、、同様に東欧への布教は武力を伴うものであったこと(ドイツ騎士団の東漸)、イスラム教の出現に伴いイベリア半島がキリスト教圏から脱落したこと、更には古代ローマ帝国解体から久しく、コンスタンチノープル(東ローマ帝国ギリシャ正教)がローマ(カトリック)より優越していた史実を踏まえると、カトリックを過大評価し過ぎと判断せざるを得ません。


欧州の「中世的統一」を維持していたのはむしろ爵位ではないかと言うのが小誌の仮説なのですが、では爵位の発給権者すなわち権威の付与者は誰なのか、全てではないですがその淵源は古代ローマにありますが、フランク王国とその後の神聖ローマ帝国もその権利を有していると考えられます。

「宗教による近世的統一」と言えば、今仮に宮崎市定教授の説に従いますが、むしろイスラム教の席巻の方が該当しますし、そのイスラム勢力が滅ぼしたササン朝ペルシャ(拝火教)の方が、カトリックよりも宗教的にも政治権力的にも広い範囲を掌握しています。


歴史の教科書とは正直なもので、時代の主権者が誰かを雄弁に物語ってくれます。

分かり易い例で言えば、平安末期まで日本は「古代的統一」の時期にありましたから、やたらと天皇(上皇)の名前が出てきてそれを暗記させられます。

それが鎌倉時代になると後鳥羽上皇、南北朝時代の後醍醐天皇、ずっと下って後水尾上皇、散発的でいずれも政治的敗者として登場します。

それが明治維新を経ると、元号がすなわち天皇の称号になると言う「生前諡号」と言うべき制度が確立され、「天皇中心の中央集権制度」が近代化及び現代化を伴いながら今に至ります。


翻って中国はどうなのか、皇帝から叛乱の頭目、異民族系軍閥の領袖まで時代によって様々ですが、その根底にあるのが「領土拡大と中央集権の追いかけっこ」です。

中央集権の下で地力を蓄えると領土が拡大しますが、領土拡大は遠心力を伴いますから、時に中央集権の方が息切れします。

この中央集権の綻びが、それに相応しい領土を維持する能力を使い果たした時に「乱世」は到来します。

1840年に中国が「近代との遭遇」以前は、保持する領土に相応しい中央集権を打ち立てることが出来るか、これが課題であり、その繰り返しだったのですが、「近代」とはそんなに甘いものではありません。

現代でさえ、古代や中世を引きずっているの歴史の実相であり、例えば天皇制は時に中世的思考を、場合によっては古代的思念を甦らせることが出来る一種の歴史的「装置」です。

例えばイスラム社会の多くが部族制度を温存していますが、近代はその文明が古代や中世、或いは近世の遺物を抱え込んでいることには寛容です。

近代が要求すること、それはただ一つ、「立ち止まらないこと」、これだけです。

換言すれば立ち止まれば奈落の底へ転げ落ち、小誌が申す「退化」が始まります。

(続く)
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by dokkyoan | 2012-04-25 00:14