大帝国の悲哀

近世に於ける大帝国と言えば、東アジアでは明朝(=大明)や清朝(=大清)に代表される中国、中央アジア(インド亜大陸)はムガール王朝に象徴されるインド、イスラム社会ではオスマントルコが覇を唱えていました。

近世型大帝国の共通点は、「動員出来る資源が、質と量の両面で近隣地域を凌駕していること」でした。


近世と近代の最大の違いは、近世は「成り行きでたどり着ける」が、近代は「発見又は発明する対象」と言うことです。

そして「近代」を発見(発明)した国から順に、列強と言う称号が与えられることになります。


近代の最低必要条件は、「教育(民度)の同時多発的高度成長」です。

簡単に言えば、国民に近代戦争を強いるには識字率を高めることはおろか、日本語とは限らない書籍を消化し、更に創意工夫を加えて次代に受け渡すことが必須条件ですから、国民の教育水準向上は喫緊の問題であり、同時に世代を越えた課題でした。

ですから明治政府が教育に力点を置いたのは当たり前で、幸いにも江戸次回の段階で既に識字率が一説には75%に達していたことが幸いしました。

どんな弱小国でも教育を重視することは可能ですし、海外の干渉を受けにくい分野でもあります。

そして教育は「一致団結」と「一騎当千」」を生み出します。

今でも会津は長州に対して微妙な心理を持っているかも知れませんが、教育面では高等教育に至るまで、長州は会津を差別しませんでした。

「日本人は皆、同胞」であり、教育による切磋琢磨はその程度により、「一騎当百」、「一騎当千」、「一騎当万」を無数に生み出します。


近世型大帝国はその成功体験から脱することが出来ないが故に、近代の必要性を認識し、近世を発見、発明することの意味を理解出来ませんでした。

実は「近代型帝国=列強」にも別の悲哀が待ち受けているのですが、英仏独に代表される列強からみれば、近世型大帝国は蚕食の対象であれ、脅威では決してありませんでした。

そしてオスマントルコは英仏で分割し、インドは大英帝国が独占、中国は弱小列強も総動員で分捕り合戦を展開しましたが、大英帝国が最大の受益者でした。

そして近代が内包する最大の難題は、「発見(又は発明)しない限り、近代には立ち入れない」と言うことで、つまり今でも現代はおろか近代にすら達していない国々が多数存在します。

此処で問題、中国は近代に移行したか、したとすればそれは何時か。

勿論、阿片戦争を以って近代の端緒とするのは誤りです、それ以降も中国は「おかしい、おかしい」と言いながら奈落の底に向かって転落し続けたのですから。

(続く)
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by dokkyoan | 2012-02-15 00:13