大英帝国の立場

蒋介石にとって中国とは、或いは国民党とは、自らの手で育て上げた子飼い部隊すなわち「身内」以外の何物でもなく、ですから外様扱いされた重慶住民を日本軍による絨毯爆撃の犠牲にしてでも「身内」を守ったのは当然と言えます。

中国共産党を含めた地方軍閥が束になっても勝てないだけの火力を、蒋介石率いる国民党軍は有していたと思わ、軍事的にはそれが正しいことは北伐と第一次国共内戦が立証しています。

ただ国内で絶対的最強でも世界的にみれば二流の軍事力ですから、最先端を行く日本軍には歯が立たない、中国全土の有象無象が一丸となっても蒋介石軍には叶わないですが、蒋介石軍も紅軍を含めた有象無象軍も、日本軍からみれば子供で、それらが壊滅しなかったのは険峻な「母なる大地」が日本軍を阻んだからです。


第一次世界大戦が勃発する1914年以前、列強支配が完璧で「門戸開放政策」を唱える異邦人の出る幕は無く、列強側も中国の如何なる勢力と交渉する必要性を感じませんでした。

第一次世界大戦の火事場泥棒と言えば日本と米国ですが、その舞台でもある中国もその恩恵に与って租界や租借地周辺で近代化(工業化)が進捗します。

この時代の大英帝国の利権に対する最大の脅威は、対華二十一か条と言う無茶苦茶ですが列強として当然の要求を出した日本ですが、日本は当時大英帝国の同盟国、手荒に扱えないが話も出来る相手で、その意味では怖くありません。

大英帝国が中国に交渉相手を探す必要を初めて感じたのは、米国と蒋介石国民党の癒着が明らかになった時点で、この親米反英政党を野放しにすることは出来ません。

ですから北伐開始より以前、早くとも1914年以降に反蒋介石国民党勢力と接触したことになりますが、どれも役立たずなことは「海の覇者」大英帝国であれば一目瞭然です。

ですが何らかの経路を活用して中国共産党を交渉相手として起用し、日華事変勃発以降は確実に何らかの黙約が存在していたと思われます。

(続く)
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by dokkyoan | 2012-01-04 16:29