蒋介石の立場

俗に規律に従わない組織内組織を「関東軍」と揶揄しますが、これは軍略の天才、石原莞爾に起因する用語法です。

満州事変勃発時の関東軍は、張作霖の息子の張学良が率いる現地国民党軍と比べて、数の点に於いて絶対的劣勢に置かれていたにもかかわらず、圧倒的勝利を収めました。


「北伐」は蒋介石の現実主義と漸進主義、小誌が申すところの「小中華主義」が凝縮されています。

まずは諸軍閥と妥協してでも「中国中枢部」を掌握する、この場合の「中枢部」の北限は北京、広州から出発していますからそれが南限、要は「中国海岸線=沿岸制海権の確保と、国土東半分の平野部」でした。

蒋介石の胸の内を憶測すると、当面は「中枢部」の確保に努め、幸いにして米国資本の後押しを受けて軍も近代化が進んだから、北伐によって所期の目的を達成したからには各地の軍閥はご用済み、だから磨り潰していきますし、北京で目を光らせつつ張学良を篭絡すれば、満州から日本を追い出すことが出来る、こういう算段だったと思われます。

考えは間違っていませんが、現状分析が間違えていました、「上には上がいる」ことを。


満州事変での関東軍の勝利は、石原莞爾の用兵の妙もさることながら、その用兵術を生み出した背景にも光を当てねばなりません。

列強の条件として、「質量両面で相手を凌駕出来るほどの、段階が違う質に到達すること」が挙げられます。

インド支配に従事した英国人は、その被支配人口に比べれば僅かですし、中国に群がった列強にしても、全てを合算しても当時の中国の人口だけでなく、軍関係者と比較しても微々たるものです。

大日本帝国は中国を蚕食することでその窮状を打破することを使命としていましたから、相手が多いことを前提に作戦を立てます。

その際に練兵度や装備、補給力も考慮に入れていますから、後は問題の答を書けるかどうかで、その試験で100点満点の答を出したのが石原莞爾だっただけの話です。


当時の大日本帝国陸軍の軍事思想は、世界一とは言わぬまでも世界最高水準と言えます。

対する蒋介石率いる国民党軍は、確かに諸軍閥や中国共産党と比較して抜きん出ていましたが、師匠が悪かったです。

戦間期に於ける米軍の評価は最低で、現実に日英独(露)と比較して、遥かに遅れていました。

第一次世界大戦での評価は「補給面での貢献は絶大、前線では役立たず」です。

しかも参戦したのが末期ですから、最新軍事思想の真髄を体得していません。

とすると「米軍亜流」とも言うべき蒋介石軍が、常に中国侵略を考えながら最新軍事思想を磨いていた日本に勝てるか、その答が満州事変と日中戦争です。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-12-14 01:25