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世を毒する言動、空疎な報道・社説・論説等に遠慮仮借なく鉄槌を下します。


by dokkyoan

宿題の整理

小誌が自らに課しながら放擲している宿題を纏めると、おおよそ次の通りになります。

1)「寄り合い所帯」中国共産党の結党段階の構成比及び勢力図、

2)中央集権と地方分権

3)受け皿作りの模索

4)蒋介石敗北の理由

などなどですが、中国共産党結党時の中国本土における政治形態を分類すると次の様になるのではと考えられます。


1)群雄割拠(軍閥)型
今でも存在しそうな政治形態で、「半ば独立国」みたいな地域は中国史上、何時の世にもありました。
清朝(=大清)滅亡後、特に袁世凱死亡後の分裂国家状態は最も成立し易い政治体制でしたが、同時に最も不幸で不安定な選択肢でした。
潰し易いが成立し易いと言うことは、無限に細分化する可能性があり、全く利益をもたらさない合従連衡が繰り返されることを意味します。
残念なことに、中国の政治形態の原型は今も昔もここに置かねばなりません。

2)「蒋介石」型
地元意識が強い点では軍閥と同じですが、強力な軍事力、工業力、政治力、統治能力を兼ね備えている点で有象無象の軍閥とかけ離れていますし、天下統一を視野に入れている点で遥かに進化しています。
ですが凡百の軍閥にとって蒋介石の象徴は死活問題ですし、蒋介石の思想を突き詰めれば「共和制の衣を着た、日本型中央集権制度を取り入れた、皇帝政治の復活」に逢着します。
そして軍事面では全ての軍閥、政治面では全ての宗族階級、そして地元意識の強さは中国のその他の地域全てを敵に回すことになりますが、蒋介石はそれでも勝てると踏んでいたと思われ、要は「反蒋介石統一戦線」の結成は不可能と考えていたのでしょう。

3)中国共産党型
敢えて「毛沢東」型と表記しなかったのは、毛沢東を「お飾り」とみるか、卓越した指導者とみるかでその後の歴史に対する見方が一変するからです。
まず当初の共産党は軍閥に毛の生えた存在に過ぎず、しかも弱小集団にもかかわらず寄り合い所帯と言う、誠に頼りない政治集団でした。
ただ寄り合い所帯の唯一の長所は「各階層総参加型」政党になること、つまり全ての階級に「渡り」を付けることが出来ます。
それから「中央集権なんて夢のまた夢」であったこと、軍事的には軍閥に生存の余地を与えた点が大きいと思われます。

(続く)
by dokkyoan | 2011-08-17 01:27