宿題をさぼってはいけない

小誌が追究し解明を試みている問題が複雑にして大き過ぎて、手に負えないと思いつつも喰らいついているのが実情です。


あれ程の繁栄を誇った中華帝国が転落を始めるのは、私見では清朝乾隆帝の治世、皇帝本人がおそらく阿片中毒になってからのことです。

嘉慶帝を初めとするその後の清朝皇帝の政治課題の筆頭は、常に阿片駆逐(或いは容認)でした。

その阿片を梃子に中国と言う「汲めども尽きぬ富の塊」を最初に蚕食したのがご存知「海の覇者」大英帝国、セポイの乱(最近ではインド大反乱とかシバーヒーの乱と言うそうですが、小誌の与り知らぬ所です)を契機にムガール王朝を滅ぼしてインドを手中に収め、ほぼ同時期の1860年に北京条約が締結され大英帝国による本格的侵略が始まりました。

没落と言う名の下り坂を転げ落ちた挙句、清朝は1912年に滅亡しますが、この時点でも中国は列強からみれば垂涎の的で、その後は一応、中華民国を名乗りますがまさに名ばかり、群雄割拠の時代に突入しますが、それでも少なくとも日本にとって中国は「宝の山」の存在で、張作霖を謀殺した挙句に満州地区を我が物とし(1931年)、更に1937年の段階でも中国本土主要部を軍事占領し、大英帝国の利権を覆してまで生存圏の確保を図りました。

その中国、1945年時点において「旨みのある」場所だったのか、その答は「三者三様」です。

後の北朝鮮に橋頭堡を築いたソ連は、蒋介石との取り決めを忠実に護り、速やかに兵力を引き上げました、そのお蔭で旧満州帝国の地域は「往復ビンタ」を喰らう羽目になりましたが。

スターリンの答は「魅力なし」、コミンテルンに忠実な組織も存在しませんから、スターリン流の「赤化(紅化?)」の段取りが立たない以上、貴重な軍事力はより重要な地域に回すべきです。

あれ程「門戸開放」を叫んでいた米国も、おそらく対日戦争で相当疲弊したのでしょう、結果的に(朝鮮戦争勃発までは)日本に居座る格好になりました。

面白いことに、米国は欧州戦線からさっさと兵力を引き揚げ、そのためにドゴールが徒手空拳でソ連を恫喝して侵略を食い止めましたが、日本にはGHQが置かれて相当数の兵力が日本と南朝鮮に駐屯することになりました。

案ずるに、太平洋戦争末期の特に陸軍の善戦が、米軍首脳をしてまず日本を完全に抑え込んでから朝鮮半島を踏み台に中国に足場を築く算段だったのではないか、とすると国民党政権に対する支援は「ヒト」を欠いた「モノ、カネ」に限定されます。

最も割を食った英国にとって、租界及び租借地回収を断行した蒋介石とは組めません。

終戦直後に香港を取り返し、上海でHSBCが踏み止まっていたのは奇跡としか言い様がありません。

英国にとって中国は「まだ旨みのある存在」と言うことになりますが、取引をするのは蒋介石以外の人物でなければならず、と言って手を拱いていては蒋介石が統一を果たしていたと思われます。

翻って中国国内で「英国利権」を認める政治集団が存在するのか、しかも米国に「門戸閉鎖」する反米政権、これだけの条件を満たす勢力でないと英国も話し合いが出来ません。

この「英国利権を認める共産主義国家」、この概念を「発明」したのは誰か、小誌の放浪の旅はまだ続きます。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-08-13 02:41