遵義 ~この地にて複雑骨折するまでにボタンの掛け違え~

Wikiによれば、中国共産党の創設者(2011年7月)は次の通り。(コミンテルン顧問を除く)

出席者:

上海代表:李漢俊(東京帝国大学出身)、李達(東京帝国大学出身)
広東代表:陳公博、包惠生
北京代表:張国燾、劉仁静
武漢代表:陳潭秋、董必武(日本大学出身)
長沙代表:毛沢東、何叔衡
済南代表:鄧恩銘、王尽美
留日代表:周仏海(京都帝国大学出身) !

欠席者:

陳独秀(成城学校出身)、譚平山・・・広州在住

李大釗(早稲田大学出身)・・・北京在住

沈玄廬(日本留学組)・・・モスクワにおり、

邵力子・・・上海(病臥)


後世から観れば「錚々たる人材」とでも称すべきでしょうが、その時に決まった執行部の陣容は次の通り。

委員長 陳独秀
副委員長 周仏海
組織部長 張国燾
宣伝部長 李達
広東特派員 包惠生
長江特派員 周仏海
日本特派員 張太雷
北方特派員 劉仁静

結党時の党員としては、上述の出世者、欠席者を含めて50数名らしく、その中には周恩来も名を連ねていますし、後に「漢奸」の代名詞とされる周仏海の副委員長に食い込んでいるのが面白いです。

この内、特に日本への留学組の影響力の強さを考えると、「中国共産党は大日本帝国が作った」と言っても差し障りがないのではないかとさえ思えてきます。

それから初期の共産党は知識人集団であること、逆に言えば腕力の面で心許ない連中ばかりで、例外は毛沢東、共産主義理解において度外れて間違っていたことが後の人生に大きな影響が与えます。


ところで中国共産党とは別に、遅くとも1920年の段階で中国共産主義青年団(共青団)の前身(?)、中国社会主義青年団が結成され、劉少奇は同年入団しています。

こちらの初期の顔触れは不明ですが、共青団が党に吸収されるのは少し後ですから、両者は並立していたことになります。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-07-31 13:26