世界の中心で愛を叫ぶ?

示唆に富んだお便り拝読、小誌の存在意義が無くなるのではと思えるほどの高水準の内容を開示して頂き、心より感謝申し上げますが、ご卓見と弊意の「ずれ」が歴史の真相を浮き彫りにすることも有り得るかと思い、敢えて「独走」する次第です。


国共内戦が再開するや、中国共産党の根拠地延安はたちまち抜かれ、更に奥地へと後退した際、「世界の最僻地で中華(=大中華主義=共産主義革命)を叫んで」いたのは、極論すれば毛沢東一人だったでしょう。

ですがその二年後(1948年秋)には、蒋介石が敗北の可能性に想いを巡らせるに至りましたが、その2年間に何があったか、少なくとも「米ソによる共産党への援助」は無く、「蒋介石に対する英国の憎悪」は有りました。

それから紅軍の兵力には上限がありました。

国民党軍が故郷を追われた「流浪集団」であるのに対し、共産党は故郷が無い「居候兵隊」でした。

ですから故郷南京(そして浙江省)恋しい国民党と蒋介石は、重慶では自分達が余所者であることを自覚すると共に、たとえ「小中華主義」に基づく全土統一にせよ、なすべきは自分達と言う自負がありますから、現地人から食糧と物資、資材を徴収しながら、一方で日本軍による「重慶絨毯爆撃」の楯にして軍団の戦力保全に全力を注ぎました。

ですから蒋介石軍は「兵力、装備、士気」共に盛んなのですが、一種の郷土軍、歴史用語を使えば「郷勇」と言うことになるのでしょうか、その精神構造は太平天国の乱の際の李鴻章とさして異ならないと思われます。

従って蒋介石が天下統一を果たした暁には、郷土と余所者でも特に貢献した集団が「特級国民」、中立地域が「一級国民」、共産党や弱小軍閥と関わりのある地域出身者は「二級国民」に分類されたと思われ、台湾に於ける外省人による本省人支配は、これの出来損ない以外の何物でもありません。

ですから国民党軍は団結力が強く、装備の近代化も当時の中国では最も進み、兵力の規模も大きかったのですが、搾取された挙句に矢玉の楯代わりにされた重慶の住民を初め、ほぼ中国全土が潜在的敵対勢力です。

ただ内紛や内戦において「武器無き敵意」は無に等しく、これを裏返せば「革命は銃口から生まれる」となります。


対する「居候」共産党、長征なんて偉そうなことを言っていますが、あれは指名手配犯の逃走みたいなもので、あちこちの伝手をたどってその場その場の厚意を得て逃げ惑う姿です。

この場合、共産党より受け入れ側の方が強力で主導権を持っていますので、居候としては強く言えません。

「1万人なら半年食わしてやる」と言われれば、手持ちの兵力が1万5,000人の場合、残りの5,000人は「血路を拓く」か「粛清」するしかありません。

そしてその半年が終わるまでに次の居候先を探すか、蒋介石軍が攻めてきたら再び逃亡生活が始まります。

その中国共産党と弱小軍閥の連携も有り得たでしょうが、軍閥の存在意義は、下は「己の食い扶持を確保する」から、上は「腕力で支配して夢にまでみた栄耀栄華を実現すること」で、体質的に共産主義は受け入れ辛いです。

そもそも腕力で問題の解決を図るのが軍閥の体質ですから、共産党を「寄り合い所帯」の盟主として認める理由はありません。


日本が敗れた時点で、蒋介石は敵対勢力が、

「中国共産党」(延安)
「各地の弱小軍閥」
「租借地、租界を奪われたことで遺恨が生じた英国」(上海、香港)
「租界、租借地の撤廃に伴い利権が消滅した裏社会勢力」(上海、香港他)

であること、これらが手を結ぶ可能性のあること、そして纏めて叩きのめす自信もあったでしょう。


今、ここに幾つかの補助線を引きたいと思います。

一つはご指摘頂いた「阿片」

残りは「旧宗族階級」と「旧胥吏階級」です。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-06-29 00:49