少し「賀」は置いといて

太平洋戦争が終結したのが1945年8月、国共内戦が再開されたのは翌年(1946年)6月、そして蒋介石が敗戦を覚悟したのは遅くとも1948年秋、何故そう断定出来るかと言うと、故宮博物院から「美味しい部分」だけ厳選して台湾に運び込んだのがこの時期だからです。

北京を堅持する自信があるなら移動させませんし、国土の南半分でも維持出来るのであれば首都南京で保管すれば良く、「化外の地」まで運び込むことはありません。


戦後の国共内戦も国民党軍の圧倒的優位で始まりますが、この戦いは少なくとも当初は「国民党軍」対「軍閥の残滓」対「紅軍」で、蒋介石は軍閥の残り滓も中国共産党も抹殺するつもりであったと考えて差し支えないでしょう。

纏めて叩き潰すつもりでしたから、延安は瞬時に陥落、共産党側は山岳地に敵を引きずり込む策略だと強がりを言っていますが、そんな所に「誘い込んだら」、食糧や軍需物資の補給も不可能ですから、その前に共産党軍が自滅してしまいます。

ですが内戦再開から2年で蒋介石の方が負けを悟りました。

共産党は軍閥とも妥協して共同戦線を張ったかも知れませんが、蒋介石>>共同戦線ですから、緒戦では各個撃破が現実だと思われます。

ただ唯一、蒋介石が負けるとすれば、それは「後ろから差された」場合です。

つまり「蒋介石を憎みし者」の正体を暴く必要があります。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-04-26 00:49