やっと「重慶」と「延安」

と言いつつ、少し米国に寄り道しますが、この国は地域間の対抗意識が意外と強く、シカゴとニューヨークの関係もあまり穏やかでないらしいです。

ある経済書の後書きを読んでいた時、その人物がたまたま逗留したアパート(マンション?)の名称が「ニューヨーク、ニューヨーク」、そのことを大学の同僚や学生に話すと、日本人にしては特上のジョークだと言われたそうですが、それが事実だと分かると今度は顔を見合わせて大爆笑になったそうです。

正直言って、その感覚が分かった様な分からない様な印象を持ちながら、今に至っています。


延安は重慶と比べてまさに「無い無い尽くし」の状態に置かれていました、ただ一つの例外を除いては。

援蒋ルートは「無い」、兵力も装備も「無い」、食糧も「無い」状態です。

その代わり、この「共産党と言う名の引き篭もり集団」は、日本軍の攻勢や絨毯爆撃に遭遇することもまず皆無でした。

しかも当時、その少し以前ほどではなくとも、地方には小粒の軍閥が健在でした。

「小粒」と言っても兵力では紅軍に優っていましたから、侵入してきた共産党集団を蹴散らす程度の実力は持っています。

つまり当時の戦闘能力を図式化すると、

日本軍(満州帝国、汪兆銘南京政府を含む) > 国民党重慶政府(蒋介石) >> 地方小粒財閥 > 中国共産党(延安)

となりますから、誰も相手にしないし、スターリンだって延安みたいな過疎地に引き篭もられては、たとえ援助する意思があったとしても無理ですから、延安に籠もった連中は馬鹿にしか見えなかったでしょう。


中国共産党だって延安なんかを根拠地にしたくなかった筈です。

選択の余地が無かったのです。

国民党軍に追い回されるは、地方軍閥に小突き回されるはで、まさに流浪するイデオロギー集団ですが、その過程で定住の条件は整いつつありました。

流浪末期の紅軍は兵員も激減し、物資の補給もないため、軍隊の体をなしていなかったと思われます。

ただ戦闘経験は数を踏んでいます。

これって用心棒なら使えます、或いは友軍(消耗兵)として。

そしてここでもう一つの必要条件が揃います。

「賀」です。

(続く) 
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by dokkyoan | 2011-04-21 12:42