米国の原風景、中国の原風景

国内報道機関の米国特派員は大抵、ワシントンかニュー・ヨークに滞在しています。

それには様々な理由があるでしょうが、日本からみた、厳密には観る必要があると判断している米国は、「軍事大国」としての米国でもなければ、現代文明の最先端を行く米国でもなく、結局はドル相場と株式市場のことだからです。

たまに銃の乱射事件が発生したら、さも怖ろしいかの如く報道されますが、それぞれ理由は異なるものの、米国とスイスは、国民に銃の保有の自由を認めている以上、銃による事件は不可避と覚悟したうえで、それでも原理原則にこだわっています。

米国独立戦争(米国では「革命」と捉えているらしいですが)は「民兵」が銃を携えて大英帝国派遣の正規「軍」と戦って、これを追い出して達成したものですから、銃保有に対する規制はこの「革命」そのものを否定しかねない論理です。


時に「ジュー・ヨーク」と揶揄される様に、ニュー・ヨークはユダヤ人の比率が高く、そしてユダヤ人は教育熱心ですから、高等教育におけるユダヤ人比率はどうしても多くなります。(QUOTAの件はややこしいので触れないでおきます)。

従ってニュー・ヨークに代表される大都市や大学と言うのは、「他民族も出入り自由なユダヤ人ゲットー」と考えるのが妥当かも知れず、少なくとも人種別人口構成は全米平均と著しく異なります。


米国を象徴する人物を何人か挙げよと言われれば、まずはレーガン元大統領、米国史上初めて現職を破って当選し、再選時には「ランド・スライド」なる言葉以外に形容の仕様がない程の圧勝を果たした人物で、カリフォルニアもニュー・ヨークも制しました。

それから映画ランボー(本来の原題はFirst Blood)の最初に出てくる、いかつい保安官、銃を携え「俺が法律だ」とばかりの態度を取り続けます。

舞台となった小さな町に、或いは大草原に点在する市町村にどれだけユダヤ人が存在するのでしょうか。

大都市の様な「雑居地区」と異なり、地方の町は人種的に極めて純度が高いく、例えばアーミッシュ(別名「ドイッチェ」と言うらしいです)の町ではアーミッシュが100%の筈です。

後は日本の野球界で活躍したランディ・バース氏で、自宅には銃が保管され、しかも子供に銃の取り扱いを教えています。


これらの人物を都会人や高等教育を受けた人達は評価しないでしょうが、と言って「隣が襲ってくることは有り得ない」と言う、日本人のみが享受する感覚は、ユダヤ人を含めて理解出来ないでしょう。

「隣」家であれ「隣」国であれ「隣」人であれ「隣」村であれ、隣は必ずしも友好的とは限らないのです。


例えば名古屋人が気晴らしに高知の鄙びた場所に観光旅行する、日本では何の話題にもなりません。

ユダヤ人がアーカンソー州の田舎町をぶらりと旅行する、おそらく命懸けでしょう。


中国そして国共内戦を理解するための補助線を引いてみました。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-04-12 00:38