ベトナム戦争

大日本帝国陸軍は日中戦争において、蒋介石が立て籠もる重慶に絨毯爆撃を仕掛けましたが、「戦いの主役は我等」を自任する陸軍自らが航空力で制圧出来ると判断したのは、重慶までの道のりが平坦でなかったうえ、追えば退くの「いたちごっこ」を避ける意味もありましたが、絨毯爆撃で従兄政権を崩壊できるとの読みがあったと思われます。

その考えは「常識的には」正しく、現実にあの狭い盆地で軍民共々食い繋いで行くのは不可能だったと断言して差し支えないでしょう。

ですが現実には、重慶政権は持ちこたえました。

これにはビルマ・ルート(援蒋ルート)の存在も見逃せませんが、蒋介石の「一族郎党」、軍民で言えば「軍」の部分だけの兵糧を確保出来れば良いと言う発想に立てば、生き残る道はあります。

但し、裏を返せば住民に食糧を与えないばかりか、可能な限り収奪しますので、これは重慶を含む四川盆地の住民全員に「死ね」と言っているのと同じです。

蒋介石にはこうした、毛沢東とは異なった冷酷な面がありまして、Wikiによれば湖北省だった湖南省だったか、その地域を蒋介石の部隊が通過した際、農民から食糧をすべて収奪し、その後に通りかかった日本軍部隊がその惨状に見かねて食糧を与え、やがて蒋介石軍が反転した際、現地人と日本軍の間で「倭荊合作(?)、抗蒋戦線」が成立し、国民党軍を協力して迎え撃ったこともあるそうです。


ベトナム戦争で米軍が日本陸軍の轍を踏んだのは、やはり「空爆」で北ベトナムを仕留めると踏んだからと思われます。

硫黄島と沖縄であれだけ予想外の苦戦を強いられ、虎の子のガソリンを湯水の如く使って漸く制圧出来た教訓を、陸軍と海兵隊は忘れていなかったでしょうが、相手方は徹底的に地下壕を掘って北ベトナムの共産党組織と兵力をそこに温存し、熾烈な「北爆」を凌ぎました。


リビアにおいて再現された「人間の楯」戦術は、空爆に対する究極の防衛手段です。

それにしても仏伊は弱く、そして脆いです。

それを米英が内心で嘲笑いながらお付き合いしている、これが今の構図です。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-04-08 00:36