中国を巡る列強の暗闘

日本は全くその認識がありませんが、米国に対して煮え湯を飲ませています。

ペリー率いる艦隊を派遣して、日本開国一番乗りを果たしたと思ったのに、次の瞬間に日本は態度を一変させ、大英帝国中心の外交路線を選択します。

当時最強の列強と友好関係を構築することは、弱小国にとって当然の選択肢ですが、中国進出に遅れを取った米国とすれば、中国における利権拡大の足掛かりとしての役割を日本に期待していたのですから、この日本の「背信」で、米国は中国にとって一層遠い存在となりました。


米国にとって次の好機は日露戦争直後でした。

日本の勝利によって満州は「主なき大地」となり、ロシア勢力が退潮した今、残るは日本のみですが、単独で満州を維持するのは難しかろう、同時に大きな後ろ盾を得ることになるからと、南満州鉄道の共同経営を持ちかけてきました。

決して悪い話ではなかったのですが、「我々臣民がこれだけ奮闘努力したのに、政府の拙劣な外交でその成果の少なからぬ部分を獲り損ねた」と大部分の帝国臣民が確信している状況下で、更に弱腰或いは感情を逆撫でする行動に出ることは、当時の政府には不可能でした。

但し、やはり当時の政府要人が、日中戦争時の陸奥宗光に劣るのは、申し出を拒むのは良いけれど、日本が冷静になれるだけの時間的余裕を得られる、裏を返せば米国側に希望を持たせる回答をすれば良かった訳で、この点をみても小村寿太郎は陸奥と比較して「儒子」に過ぎないと言えます。


これだけ日本の「背信」にあっては、米国は当然「反日的」になります。

しかし当時は列強による帝国主義的進出が当たり前の時代でしたから、「門戸開放」なんてお上品なことを唱える米国(真意は他の列強と変わりありません)は孤立し、逆に中国侵略をやりやすくしてくれた日本に好意を持ちます。

米国の「反撃」が始まるのは第一次世界大戦からです。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-03-11 01:29