南京、天津、そして北京

南京条約(1842年)の主な内容が

「領土割譲」(香港のこと)
「賠償金の支払い」(2,100万$)
「5港開港及びそれらでの自由貿易」
「治外法権」
「片務的最恵国待遇」
「関税自主権喪失」
「英海軍の中国常駐」
「開港場での租借地取得の権利」

であったのに対し、1858年に締結された天津条約では(賠償金を除く)

「外交官の北京駐在」
「中国での貿易と旅行の自由」
「揚子江通行の保障」
「キリスト教布教の自由、宣教師の保護」
「新たに10港を開港」

が盛り込まれ、更に1860年の北京条約では、数項目が追加されました。


面白いことに、条約の締結地が北京へと近づいています。

それにつれて内容も中国(清朝)にとって不利で苛酷なものになり、また首都に近づくにつれて締結内容の履行が強制されます。

要は、当時の清朝は大英帝国を筆頭とする列強を舐めていました。

最早世界最強でもないのに、己が世界の主人公と錯覚していました。

それでも、洋務運動で一度は息を吹き返します。

そしてそれが致命傷となります。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-02-20 00:04