天国と地獄 ~日本(江戸幕府)と清朝~

鎖国と情報から耳をそむけることは別の話で、少なくとも当時の幕閣は、1840年の阿片戦争前後の中国情勢を注視していたのは間違いありませんが、その対応策を表立って講じることは不可能でした。

鎖国は「神君家康公以来(厳密には三台家光)の祖法」ですから、それを覆す権利も資格も、幕閣である以上は出来ない話で、徳川家から代々恩顧を受けた家臣が幕閣の集まりですから、「祖法」に背くことは表立って主家に仇をなすことにほかならず、それは幕府としては出来ません。

と言って鎖国路線を堅持して海外勢力を排除した場合の国運は、隣国清朝(=大清)をみれば一目瞭然です。


1840年:阿片戦争勃発
1842年:南京条約締結、戦争終結
1851年:太平天国の乱(~64年)
1856年:アロー号戦争(~60年)
1858年:アイグン条約、天津条約
1860年:北京条約、戦争終結


阿片戦争は、産業革命と国民国家への成長と言う「近代化」を成し遂げた国家と、いまだ近代化を知らない国家との対決であり、その結果は南京条約(付属条約を含む)に明記されています。

「領土割譲」(香港のこと)
「賠償金の支払い」(2,100万$)
「5港開港及びそれらでの自由貿易」
「治外法権」
「片務的最恵国待遇」
「関税自主権喪失」
「英海軍の中国常駐」
「開港場での租借地取得の権利」


近代化を成し遂げた国家、すなわち「列強」と戦って敗れると言うことは、これだけの負荷を背負うことになります。

しかも清朝は、「再度の列強との干戈」、「別の列強の介入」、「より苛酷な条約締結」、そして「内乱の予防失敗」と、これだけの愚挙を犯すことになります。

これらについては別途検討しますが、当時の江戸幕府にすれば「平和裏の開国」、「内乱予防」、「列強の介入阻止」、そして「可能な限り有利な条件での条約締結」を求められたことになります。

それが成功したかどうか、それは項を改めて。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-02-04 23:54