奉天会戦以降

日露戦争の特徴は、鉄道網を持った方が圧倒的に有利と言う、独仏戦争や独墺戦争で得られた教訓を、日露両国が正しく理解したうえでの近代戦だったと言う点に尽きます。

日本は日本海の制海権を確保したうえで、南満州鉄道沿いに進軍する訳ですが、日本軍が陸戦で「苦戦」した最大の理由は、帝政ロシアの「鉄道輸送能力」に対する評価を見誤ったからです。


会戦にあたって、日本はシベリア鉄道が複線化されていたのも知っていたし、それを基準に勝算有りと読んでいました。

唯一の誤算は、ロシア側がシベリア鉄道を「モスクワからの下り運行のみ」にしたことにあります、つまり下り電車だけで言えば「複々線化」し、人員や物資の輸送を倍増することが可能になりました。


では奉天会戦後、日本陸軍はどうすれば良かったのか。

敵は尻尾を巻いて列車に乗って敗走したのですから、我が軍としては敵が二度と来れない様にすれば良いのです。

とすれば、戦勝直後に余力の残っている部隊にあらん限りの武器弾薬を持たせ、そして全ての工兵隊を列車に乗せて、行ける所までロシア軍を追走する形で列車を走らせます。

そして重武装した護衛部隊が守る中、工兵部隊が鉄道を枕木ごと引っぺがしながら、逆戻りします。

その間、本隊主力は鉄道沿いに進軍します。


大事なのは、「敵軍が敗走している限り、シベリア鉄道は不通である」ということです。

敗走部隊が通過した地点は、軍事上放棄されたことになりますから、敵勢力は皆無です。

そして敵が敗走を止めるのは、「自軍が駐屯しているか、自軍の応援が確実に期待できる地点」です。

そこに達するまで、どれだけの時間を要するでしょうか、ましてや態勢を立て直して日本軍を迎え撃つ、或いは日本軍に向かって進軍する余裕が出来るまで、どれほどの時間を要するでしょうか。

露軍が捲土重来を期して再発信した時点で、仮に10キロに亘ってシベリア鉄道のレールが枕木ごと無くなっていて、10キロ向こうには塹壕戦も可能な準備万端な日本軍(日本軍の後ろの鉄道は利用可であることに留意されたい)が存在すれば、ロシアはその地点から東側(或いは南側)を放棄せざるを得なかった訳です。


であれば、小村寿太郎もチョンボすることが無かったのです。

日露戦争で真に日本が問われているのは、「これだけの戦勝に頼らなければ外交戦に勝利できなかった外務官僚」と、「本当の勝利の意味を最後で見失った帝国陸軍」のどちらに非があるかです。

そしてその答は、日本国臣民自らが出しました。

「帝国陸軍は及第店、外務省は落第」。


ですから、外務省系の人物は、日露戦争以降に触れることができないのです。

己の都合の良い所だけ「つまみ食い」する外務官僚、罪は今でも深いです。

(続く)
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by dokkyoan | 2009-02-20 00:06