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by dokkyoan

昭和天皇地方巡業

太平洋戦争終結時の東アジア情勢を眺めれば、敗退した日本軍は中国大陸から撤退する一方、その「空白地」を巡って、蒋介石率いる国民党と中国共産党が争奪戦を演じていましたが、戦力で圧倒する国民党が「旨み」のある場所を確保したのは当然と言えましょう。

しかも「旨み」のある場所と言うのは英国の租借地や租界である場合が多く、既に汪兆銘政権がその多くを回収していますが、日本の敗北と共に汪兆銘政権(厳密には国民党南京政権)は崩壊していますから、それを再び蒋介石が回収することになります。

しかも後ろ盾たる米国はソ連と手打ちして朝鮮半島を分割し、南半分に軍政を敷いて睨みを利かせる一方、不凍港の獲得とウラジオストック等の極東主要都市の緩衝地帯確保が目的のソ連は、朝鮮半島の38度線より北側を手中に収めることが確認出来るやいなや、必要最低限の戦力を残し満州地区からすらも兵を引きました。

この間、「租界及び租借地処分」についても「朝鮮半島処分」についても、英国は相談に与っておらず、云わば「蚊帳の外」に置かれていましたが、当時は疲労困憊のうえに欧州経営を巡ってソ連との激突が予想されていましたから、極東(と言うか中国)の重要性は認識しつつも、そこに力点を置く状況にはなく、過日の同盟国日本は敵国であり敗戦国で、しかも全く余力がなく今を生きるのが精一杯でした。

不思議なことに反共産主義感情の最も強い米国が、少なくとも終戦直後に主敵としたのはソ連ではなく英国で、蒋介石を介して中国における英国利権をごっそり手に入れる算段だったと思われ、このことから分かる様に、米国も紳士ぶってはいますが立派な列強です。


戦後の日本は「神風が吹いた」としか言い様のない経済的発展を達成しますが、その前提として政治面で神風が吹いて奇跡が現実のものとなった事実を忘れてはいけません。

まず占領軍を6年で「追い払った」訳で、勿論、武力によってそれを達成した訳ではないですが、これ以上占領下に置くよりも独立させた方が得策との計算が、それを許した方に働いたのは事実ですし、それが可能だったのはソ連軍が駐留していなかったから、つまり二大超大国の一方が日本に対し全く影響力を発揮出来ない状況にありました。

米国だって狙いは中国における経済的収奪及び勢力圏への組み入れであって、日本はそのための道具か足掛かりに過ぎず、ですから当初の扱いはぞんざいなのですが、敗れた筈の日本国民がGHQに向かって「天皇助命嘆願」を続々と送り付けることによって、ポツダム宣言であれだけ揉めた「国体の護持」の保証を占領下で受けることになりました。

天皇助命はおそらく自然発生的なもの、少なくとも陰謀論で語るには無理があると思われますが、日本国民の行動をみた米国は怯えると共に一定兵力の日本駐在を決定せざるを得なくなり、それが大陸経営の躓きの第一歩になったと言えますが、逆に「日本はまだ使える」と考えたのは英国だったと考えられます。


昭和天皇の地方巡業は日米英の思惑が入り乱れる形で始まったと思われますが、発案者は英国ではないか、そう考えるとエリザベス女王即位時の英国王室の当時の皇太子に対する待遇や、あのダイアナ妃の来日パレードを無理なく説明することが出来ます。

(続く)
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by dokkyoan | 2013-01-25 16:43