世を毒する言動、空疎な報道・社説・論説等に遠慮仮借なく鉄槌を下します。


by dokkyoan

ダイアナ妃 ~英国から観た日本~

これは日本が変なのか英国が酔狂なのか、俄かには判別し難いですが、ダイアナ妃夫妻(と言うかチャールズ皇太子夫妻)が来日し、皇太子妃を一目観ようと沿道に9万人の日本人が詰め掛ける中、パレードが行われました。

美智子様(今の皇后陛下)のご成婚パレードも凄かったですが、これは皇室つまり日本国の出来事であり、海外には無縁の話ですが、ダイアナ妃のパレードは「戦勝国の国家元首の息子夫妻が、敗戦国に赴いて熱烈な歓迎を受けながらパレードの重責を果たした」ことを意味します。

ダイアナ妃夫妻は英国と日本以外でパレードをしたかは存じ上げませんが、母国は兎も角、日本でする義理もなければ必要もない、ですが敢えてそれを実行に移したのには、それなりの利点があったからだと思われます。


前回、「昆布の道」と「阿片の道」を取り上げましたが、薩摩については「砂糖の道」も考慮する必要があるのではないか、勿論、日本国内でも奄美或いは琉球産砂糖が流通したかも知れませんが、中国に売り捌いていたのは大英帝国の商船ではないか、と言いますのも「阿片密輸の中継地点や船舶の停泊地」かも知れませんが、琉球や奄美は特産物砂糖の産地でもあり、それを売り捌かない手はないと思われます。

つまり薩摩は大英帝国一辺倒で、これに対し幕府は「紳士的=非列強的」な米国と最初に修好通商条約を結ぶことで、有利な条件でその他の列強とも開国することに成功しました。

しかも幕府は開国後、最も重視したのが対英外交であり、これは当時最強の列強が大英帝国ですから当たり前です。

但し、幕府は開国に消極的でしたが、薩摩は既に開国状態にあり、阿片戦争も煎じ詰めれば「大英帝国の要求通りに清朝が開国するかどうか」を巡っての争いでしたから、隙あらば鎖国(孝明天皇は日米和親条約の線にまで戻すと言う幕府案に賛成していた)を狙う幕府に加担することが出来ず、尊皇攘夷で幕府案を潰す一方、倒幕の暁には全面開国すると言う薩摩案に乗りました。

ですから尊皇は言ってみれば大英帝国のお墨付き、君主制は同じ政治形態を望むもので、特に共和制はあの米国が採用した制度ですから違和感と不快感が拭えません。


ダイアナ妃を日本人は熱狂的に受け入れましたが、これだけの影響力を持つ米国人(特に女性)が存在しないのは米国が共和制だからで、英国はその政治的資産を日本から世界に発信しました、「英国未だ侮り難し」と。

勿論、それ以外にも具体的な国益が絡んでいると思われますが、戦後間もない時点でのエリザベス女王即位式典に当時の皇太子(今上天皇)が招待されたのも異例と言えば異例で、日英間には恩讐を越えた何かがあるのかも知れません。

(続く)
[PR]
by dokkyoan | 2013-01-20 13:25