世を毒する言動、空疎な報道・社説・論説等に遠慮仮借なく鉄槌を下します。


by dokkyoan

中国で「生き延びる」と言うこと ~周恩来の生き方~

以前読者からご教示頂いたが、中国人的感覚から言えば、毛沢東にとっての「義兄弟」的存在と言えば周恩来だそうで、中国人の間ではこの点について異論の余地はないそうですが、この義兄弟、お兄ちゃんの方が何度か弟を粛清しようとしていますし、利用しつつも常に隙あらばそれを衝こうとする「辛い」間柄でした。


周恩来が属する周一族は、毛沢東からも紹介席からも酷い仕打ちを受けましたが、これは周家が胥吏階層の名家(と言うより「元締め的存在」)で、必然的に羽振りが良かったことも影響していると思われます。

魯迅(筆名)も一族の出身で、その弟に周作人がいますが、この人物は太平洋戦争終結後に蒋介石が実施した一連の漢奸裁判の中で「文化漢奸」として裁かれています。

その罪状も「日本の占領下において教育機関の要職に就いた」と言う、言い掛かりでしかない様な罪状で懲役14年(後に10年に減刑)の実刑判決を受けました。

ついでに言えば、周作人の悲劇はまだ続き、文化大革命の際に魯迅未亡人が槍玉に挙げられた際の「罪状」が、漢奸たる周作人の面倒を観たというもので、国民党総裁の蒋介石が与えた「漢奸」と言う不当な刻印を、文革派の連中は臆面もなくそれを無条件に認めて相手を攻撃しています。

つまり毛沢東を初めとする文革派が如何に周一族を憎んでいたか、その没落を心待ちにしていたかが分かる話です。

周恩来と蒋介石は結構近い関係にあるのですが、周作人に「文化漢奸」の烙印を押した瞬間から両者は不倶戴天の敵になったと思われます。

ですから「文化」大革命が始まった時、最終的な標的は己であると周恩来なら理解していたでしょうし、この名称を用いた毛沢東もそのつもりだったと思われます。

文革を開始するにあたって、毛沢東(党及び裏社会)、林彪(軍閥)、そして周恩来(国務院及び胥吏)は互いに攻撃しないことで手打ちしたとの説もあるが、周恩来が真に受ける筈もなく、周恩来が胥吏階層の元締めの家柄ならば、その大番頭に相当するのが宋平であると小誌は睨んでいるが、その宋平が赴任する甘粛省に旧宗族階級を含めた名家の子弟を匿うと言う巧妙な策に出ました。

文革はそもそも劉少奇に象徴される旧宗族階級に対する毛沢東の憎悪が、国家経営の失敗の責任を取る形で一線から無理矢理退かされたことで血で血を洗う権力闘争の形を取ったのですが、毛沢東の狙いは旧宗族階級を根絶やしにし、返す刀で周恩来を粛清するつもりだったのでしょうが、周恩来は文革派のふりをしながら最初の標的たる旧宗族階級に対し秘かに支援していたと思われます。

つまり己の出身階級を守るために旧宗族の連中を文革派にぶつけた訳で、死に物狂いで対抗して貰わないと困るから、名家の子弟は預からせて頂いた、つまり「人質」な訳で、宋平の庇護の基にあった胡錦濤氏や温家宝氏が周恩来氏に冷淡なのも、おそらく一族を矢玉の盾にした恨みがあるからと思われます。

その内に毛沢東と林彪を離間させたのは周恩来でしょうが、それにしてもこの義兄弟、辛すぎます。

(続く)
[PR]
by dokkyoan | 2013-01-19 17:15