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by dokkyoan

中国史からみた軍閥論

少なくとも後漢の途中から、分権化と並行する形で群雄割拠の萌芽が現われ、後漢末期の董卓も軍閥の領袖と言えます。

その後漢末期(184年、黄巾の乱)から五代十国時代(~960年)を経て、小誌で言うところの「北宋以降(960年)」も、政治的主題は「軍閥を如何に扱うか」だったと思われます。


後漢末期から隋による全土統一に至るまで、中国における正義は「馬上天下を取る」ことであり、「軍閥は国家なり」でした。

それに対し、「北宋以降」の特徴は「軍閥に対する国家の優越」或いは「国家からの軍閥の分離」で、岳飛が何故謀殺されたか、或いは康熙帝が強硬路線と採用して三藩の乱で反対勢力を鎮圧したのか、いずれも軍閥が徴税権や人事権まで壟断し、「国家内国家」を形成しようとしたからです。

従って、共産主義国家の今でも軍閥は中国各地に割拠していると考えるのが自然で、「小中華主義者」蒋介石は「己以外の軍閥は認めない、認めるとしても利用価値があり、尚且つ二等軍閥の地位(=いずれ解体)に甘んじる者のみの帰参を許す」と言う態度は、中央集権と、その他の軍閥の否定及び抹殺と言う点で斬新な考えでしたが、「己以外の全ての軍閥」を唯一の対抗馬である共産党に結集させる副作用もありました。

今の中国では共産党要人と軍閥が結託している筈で、それらの要人を総称して「太子党」と呼びます。(厳密には「軍閥系太子党」で、その他に「裏社会系太子党」が存在します)


中国近世は軍閥を如何に制御するかと言う難題に取り組んだ期間と言えますが、その結論は「異民族の軍事力に頼るに限る」、これが近世を通じて中国の主権者であった「士大夫層=宗族階級=大地主=或いは郷紳」の出した結論でした。

つまり漢民族だけだと民族統一すら覚束ない、国土が分裂してしまう、そこで異民族に「皇帝」と言う名目上主権を与え、実権は己達が「文官として」握るのが一番と言うのが、士大夫層の回答でした。

この「漢民族だけだと民族統一すら覚束ない」と考えなかったのが孫文ですが、現実を直視しないがために民国初期の無秩序時代をもたらしました。

孫文は革命の父かも知れませんが、同時に「無政府状態の父」でもありました。


それに対し、蒋介石と毛沢東は「漢民族には民族統一の能力がない」と言う点で一致していましたが、「だったら諸軍閥を磨り潰してやる」と考えて米国と言う「軍事力に長じた異民族」と手を結んだのが蒋介石で、「国土統一(或いは民族統一)」と言う点では一歩進んでいましたが、「異民族の手を借りる」考えは旧態依然としたものでした。

「来る者は拒まず受け入れる」毛沢東の大連立型政権は、建国直後から己の統治能力の無さを露呈することで、「漢民族だけだと民族統一すら覚束ない」との歴史的教訓の正しさを立証するだけでなく、自らがあらためて軍閥化することで文化大革命を引き起こしました。


蒋介石と毛沢東、そして孫文が残してくれた貴重な教訓、それは「俺達には統治能力がない、だけど権力は欲しい」人間集団は否定されるべきと言う、当たり前の真実です。

(続く)
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by dokkyoan | 2012-09-06 23:45