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世を毒する言動、空疎な報道・社説・論説等に遠慮仮借なく鉄槌を下します。


by dokkyoan

日本人と蒋介石

根拠はなく、あくまで私見ですが、蒋介石の出自は余り良くないのではないか、少なくとも宗族階級ではないと思うことがあります。

蒋介石が宋美齢に求愛した際、女性の方から即座に断ったと言う俗説がありますが、少なくとも当時は中国女性に殿方の選択権はない筈で、縁談は父親が決めた筈です。

宋三姉妹の父親は浙江財閥の総帥、宋嘉樹は客家ですが出身は海南島、聖書を出版して儲けた人物らしく、息子は宋子文、この人物はハーバード大学に留学し、国民党政府では反日親米派と看做されていたらしく、不思議なことに蒋介石政権で首相格の行政部長に就任しているにもかかわらず、国民党政府の台湾「転進」の際には同行せず、香港経由で渡米しています。

生涯において台湾には短期滞在しただけで、「転進」後はひたすら米国に滞在、親米派と言うより米国べったりな人物です。

宋美齢も台湾の居心地が悪くなると渡米しましたし、所謂「四大家族」の中には、蒋家を除いて米国に骨を埋めたり、留学する人物が多く、蒋介石は日本を高く評価していた部分もあったらしいですが、当時の大英帝国からみて蒋介石の周辺には親米反英派が多数存在する、好ましくない集団としか映らなかったと思われます。

当時の国民党に限っても親米派と親日派は存在しますし、両国のいずれか或いはその双方に留学、滞在した人物も多数存在しますが、国民党内にも共産党にも地方の中小軍閥にも親英派は形成されませんでした。

第一次世界大戦以降も大英帝国が誇る「富の吸引装置」、上海と香港は健在でしたし、中国に深く食い込んでいましたから、(裏社会を中心に)親英勢力が存在した筈です。

しかし国共内戦の勝者は素寒貧の中国共産党で、その中国共産党を承認して台湾の中華民国を認めなかったのは英国で、その英国は香港を確保し、上海にもHSBCの支店(本店?)の存在が認められました。

太平洋戦争終了後から10ヶ月、国共内戦が再開した時点で国民党の勝利を疑った者は少なかったと思われます。

それが2年後には、蒋介石は敗北の可能性を悟り始めます。

この「大逆転劇」を演じた中国共産党と英国の主役を探る必要が出てきそうです。

以前にもご指摘がありましたが、英国はロスチャイルドの誰かとその周辺でしょう。

中国共産党にそれだけの切れ者が居たか、そこが問題です。

(続く)
by dokkyoan | 2011-10-12 01:30