世を毒する言動、空疎な報道・社説・論説等に遠慮仮借なく鉄槌を下します。


by dokkyoan

ご維新? ご一新?

日本人もその殆どが誤解していますから、当時も含めて中国人や朝鮮人に分れと言うのが酷なのですが、明治維新と大政奉還、五箇条のご誓文、更には士族の叛乱を如何に解釈するべきか、日本史上最大の転換点にもかかわらず理解が極めて浅いと言わざるを得ません。

こんなに面白い「革命」はありません。

明治維新と言えば「薩長土肥」ですが、維新で最も「割を食った」のが他ならぬこの四藩です。

これは現在の鹿児島、山口、高知、佐賀県をみれば理解出来ますが、維新の恩恵に浴したどころか、何の特権も与えられず、その事実に逸早く感づいていたことは、佐賀の乱、萩の乱、西南戦争と明治政府に対して武力で「反革命」を企てている事実から明らかですし、残る土佐は自由民権運動と牙城となって新政府を悩ませます。

つまり「支配者層」を形成すべき集団が、「四民平等」は良しとしても何で賊軍と同じ待遇なのか、何のために父親や夫や息子や兄弟は死んだのか、当たり前ですが「勝者の報酬」を求め、その要求に応じるのが政治と言うものです、「ユークリッド世界」では。


これ程の「嘘つき革命」はありません。

尊皇攘夷を唱えながら政権を奪取するや、否、その前から開国路線に転換し、尊皇と言いながらその実体は「象徴天皇の雛形」で、明治天皇は「畏れ多き向き」であっても絶対君主では有りませんでした。

日清戦争では明治天皇が嫌だと言っているのに大本営を設置しますし、形式上は天皇親政であっても現実には「元勲主権」でした。

薩長土肥を初めとするが討幕派が一杯食わされたのは上述の通り、むしろ(福岡藩を含めて)密貿易で潤っていただけに地域経済の打撃は深刻で、維新の元勲達は密貿易の旨みを知らぬ筈がありませんから、出身藩を最初から裏切るつもりでいたことになります。

騙された側の怒りは凄まじく、戊辰戦争の戦死者が官賊合わせて八千人余りなのに対し、西南戦争の死傷者は政府軍だけで1万5,000名、兵器の進歩を考慮しても明治維新そのものが極めて「宥和的革命」であったことが理解出来ます。


明治維新は「八百長」ではなかったのか、少なくとも「合議の上での革命」ではなかったのか、その背後にあるのは「逆算」つまり「近代化への残された時間」だったのではないか、この点で明治維新は出色ではないか、そう考えるに至りつつあります。

討幕派が佐幕派を虐殺し乱暴し奴隷身分に落とす、やれば出来たでしょうが新政府側は他の政変や革命とは異なり、皆無と言って良い程にしませんでした。(それでも会津の長州に対する「遺恨」は残りました)

官軍の連中全てが「新思想」の洗礼を受けていた筈もありませんから、そうなってもおかしくは無い、むしろそうならないとおかしいのですが、現実は全く逆でした。

政府軍の「平等ぶり」は徹底していて、故郷常陸の国に還りたいと言う秋田藩の願いを一蹴、当時の「お家」の概念の根強さと、「お家」を蹴飛ばす維新思想の先鋭な対立が見て取れます。

それにしても、どう説明すればよいのでしょうか、外国人に対して明治維新を。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-09-27 03:54