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世を毒する言動、空疎な報道・社説・論説等に遠慮仮借なく鉄槌を下します。


by dokkyoan

それぞれの「国共内戦」

日清戦争以降(阿片戦争以降とすべきでしょうか)、第一次世界大戦前夜に至るまで中国(清朝→中華民国)を苛め抜いた列強は、大英帝国、帝政ロシア、帝政ドイツ、フランス、そして我等が大日本帝国でした。

これだけの列強が勢揃いしているのですから、「門戸開放政策」を掲げる米国の入り込む余地は全くありませんでした。


米国は大英帝国と喧嘩別れする形で自立した国ですから、多分に「反英非列強」的です。

大英帝国の外交政策(及び植民地政策)に象徴される、列強諸国の「非人道的かつ好戦的な」行動には、確かに心と体は激しく反発します。

しかし本能は例外で、誰でも美味しいもののお相伴に与りたいものです。

この「門戸開放政策」なるものの正体は、「汚らわしい列強扱いして欲しくないが、中国権益は少し分けろ」と言う、誠に珍妙にして虫の良い寝言だった訳でして、列強が相手にする筈はありません。


しかし第一次大戦後、独露が列強から脱落、フランスも最早中国に於いて既得権益を主張出来るほどの国力は持ち合わせていませんでした。

とすると残るは、疲弊しながらも「海の覇者」として君臨する、上海と香港から侵略の触手を伸ばしてきた大英帝国、火事場泥棒を悪いと思わない大日本帝国ですが、こうなるとこうなると「夢想主義者」米国が口出し出来る余地が出てきます。

と言っても帝政ドイツの中国権益は列強が山分けしましたし、帝政ロシアを継いだソ連は領内に「引き篭もった」だけで、それまでの獲得物を返却した訳ではありません。

英仏も中国をしゃぶりつくす余裕がなくなっただけで、退場した訳ではありません。


大隈重信が袁世凱に対しあまりにもえげつない要求を突きつけたことで、「反日」は叫んでも決して罰せられない、中国人にとって唯一の政治用語となる一方、列強も黙っていられなくなり一種の「反日包囲網」が出来た訳ですが、その包囲網に米国も参加を許され、これがひいては「日英同盟破棄」に繋がります。

袁世凱が死んだのは1916年、その後中国は「軍閥割拠」の時代を迎えますから、ホッブスの唱える「自然状態=万人の万人に対する闘争」に近い無政府状態が出現しますが、この自然状態に近づけば近づくほど収奪する側からすれば「旨み」がなくなります、経済活動に従事する人間が減りますから。

ですからこの時代、列強による侵略は姿を消し、「専守防衛=既得権の確保」を優先させます。

ここで主役に躍り出たのが蒋介石、その勢いは列強の権益回収が可能と思われるほどに強力でした。

つまり「蒋介石=既得権益を取り上げる悪魔」なのですね、列強からすれば、日英からすれば。

この状況下で大恐慌が襲来、世界がその災いに苦しみましたが、アジアにおいては侵略している側(日本)がされている側(中国)より貧乏と言う、これも誠に奇妙な現実が生じました。

英仏は他に収奪対象がありましたから、中国においては現状維持が当面の目標です。

日本は違います。

「既得権益を手放すなんて論外、むしろ利権の新規開拓をしないと国難が乗り切れない」、これが当時の帝国の総意でした。

まず満州事変を通じて満州帝国を建国し、利権を国際法的に認知させます。

此処までは大英帝国も米国も口出しできません、事実上の「縄張りの明確化」ですから。

ですがその後の戦いは違います、列強間の最大の「お約束」を破りましたから。


列強各国が蚕食する地域においては、日露戦争や第一次世界大戦に代表される列強同士の争いを例外として、相互の権益は尊重されねばならない、この一線だけは譲れないのにわが帝国陸軍はそれを蹂躙しました。

人を前に進ませる最大の動機が飢餓感であることを如実に示す事例ですが、上海まで奪ったら大英帝国の重要な権益を略奪したことになり、日本人も馬鹿でないですから分かっててやっています。

そして租界、租借地と言う名の権益は、大日本帝国の手を経て汪兆銘南京政府に受け渡され、日本の敗北と共に蒋介石の手に落ちました。

英国としては腸の煮えくり返る思いでしょうが、大英帝国を踏み台に日本は「進化」します。

(続く)
by dokkyoan | 2011-04-30 22:34