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by dokkyoan

島国日本は何故、「陸軍国」なのか

同じ島国でありながら英国が「海の覇者」になったのに対し、日本は近代に至るまで海軍国であったことは皆無に近く、航海も海戦も下手でした。

英国からみて南には、近くにはフランス、遠くにはスペイン、東には近距離にオランダ、離れてデンマークや北欧諸国が存在し、西にはアイルランドが近接し、更にはアイスランドやグリーンランドと、北を除いては「近距離及び中距離航海」が、しかも殆どの方向で陸伝いに航行することも可能な環境にありました。

例えばオランダまでの近距離航海も、それ以降は陸伝いにユトランド半島に行くことも、相手の位置が分かれば一直線で半島に向かうことも可能ですし、その向こうのバルト海にも進むことは、(陸伝いか一直線かを問わず)決して不可能ではありませんでした。

ですから大航海時代に出遅れたとは言え、それは「長距離」の技術を習得する必要があったからで、その前提となる「短距離及び中距離航海」技術は会得していました。


また英国は本来、寒くて貧しい国ですから、人口が少なく陸軍も海軍も保有することは、選択肢として持ちえませんでした。

つまり海外から大挙して侵略された場合に、海で迎え撃つのと上陸させてから戦うのといずれが得策かと言えば、人口の関係で海軍に力を入れざるを得ませんでした。


対して日本は古来より面積の割に人口が多い国で、要は「農業で食っていける」国です。

しかも西側に日本海と言う「内海」を抱え、交易は必然的に「穏やかな内海近距離(精々中距離)」航行が主となります。

ですから遣唐使の時代、それはすなわち新羅と反目していた時期ですから、朝鮮半島を中継地として使えませんから、勢い「一直線の中距離航海」を余儀なくされましたので、命懸けだった訳です。

西は「内海近距離」か「一直線の中距離」、北も近いですし凍結する時期があり、東と南は「無限の海」で、そんな所に乗り出す訳に行かず、太平洋岸は「沿岸交易(或いは沿岸航路)」しか存在しませんでした。

仮に交易が成立し、それが国内に富をもたらしたとしても、それに伴う人口増を吸収するのは農業と言う陸地で、日本は今も昔も土壌が豊かなのです。

加えて稲作と言う集約型農業を採用したので、労働力は幾らあっても足りない状況にあり、それらは全て農民ですから海を怖がるのは自明の理で、武装するにしても陸で戦うことしか知りません。

多くの陸の民と少数の短距離(及び陸伝い)航海従事者、これが近代に至るまでの日本の人口構図でした。

これを一変させたのがペリー来航で、これにより日本の東(と南)は「無限の海」から「超長距離だけど有限の海」へと一変しました。

無限は存在しないのと同じであるのに対し、有限はゼロに等しい、その証拠に日ならずして米国に船を出しています。

ここに「超長距離航行可能な陸海軍を有することが出来る人口を持つ国家」が誕生したのです。

(続く)
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by dokkyoan | 2011-01-25 00:10